スタンバーグの「救ひを求むる人々」とチャップリン

 後の大監督ジョゼフ・フォン・スタンバーグが、なけなしの貯金とイギリス人俳優の援助で、アメリカへの移民の姿を描いた「救ひを求むる人々」(1925)を自主製作している。若い浮浪者たちが光を求める姿を、シュトロハイム調の自然主義と造形美で描いた作品だと言われる。

 スタンバーグは14歳で単身で渡米し、やがて字幕を書く仕事をきっかけに映画界入りをした。ハリウッドで製作助手の仕事を得た1923年に、スタンバーグは29歳となっていた。

 「救ひを求むる人々」は、チャールズ・チャップリンの目に留まり、チャップリンが設立者の1人であるユナイテッド・アーティスツが買い上げて配給をした。また、主演のジョージア・ヘイルは「黄金狂時代」(1925)で、チャップリンの相手役として出演することになる。

 ジョゼフ・フォン・スタンバーグとは貴族のような名前だが、「フォン」は格をつけるために、プロデューサーが勝手につけたものであり、ユダヤ系であるという。