映画評「タルチュフ」

※ネタバレが含まれている場合があります

F.W.ムルナウ コレクション/クリティカル・エディション タルチュフ [DVD]

[製作国]ドイツ  [原題]HERR TARTUFF  [英語題]TARTUFFE  [製作・配給]ウーファ

[監督]F・W・ムルナウ  [製作]エーリッヒ・ポマー  [原作]モリエール  [脚本]カール・マイヤー  [撮影]カール・フロイント  [美術]ロベルト・ヘルルト、ワルター・レーリッヒ

[出演]エミール・ヤニングス、ヴェルナー・クラウス、リル・ダゴファー、ルチー・ヘーフリッヒ

 ある老人の世話をしている家政婦は、老人の信頼を得て、老人の死後には遺産を受け取ることになっている。そんな家政婦が秘かに老人に毒を盛っていることを知った老人の孫は、巡回興行師に扮して現れ、聖職者のフリをして金持ちの財産を奪おうとする男「タルチュフ」の映画を上映して見せる。

 この作品はかつてNHK−BSで放映されたことがあったと記憶している。その時私は見ており、映画の中で「タルチュフは偽善者の代名詞となった」という説明が頭に残り、偽善者と感じた人に出会うと、心の中で「タルチュフ」とつぶやいている。「タルチュフ」という言葉は、少なくとも私には、なぜか記憶から離れない呪文のような言葉でとなった。

 「タルチュフ」は、ムルナウの監督作の中では、あまり評価が高くない作品である。元々が17世紀フランスの劇作家モリエールの舞台劇を元にしたものであり、映画化にあたり登場人物の大幅な削除や現代を舞台にしたプロローグとエピローグが追加されるといった変更が行われているものの、舞台劇風な作りから映画的ではないという批判も受けている。

 ムルナウは「タルチュフ」の監督に消極的だったとも言われる一方で、映画化に当たって個人的な側面も追加されたとも言われる。例えば、モリエールの原作にはない現代のパートでは、老人の孫は役者であるということを理由に、遠ざけられる。これは、ムルナウ自身も同じような境遇で、本名とは別名で監督を行っていたこととの関係が指摘されている。

 脚本は「カリガリ博士」(1920)を担当し、その後ドイツ表現主義映画や室内劇映画で手腕を発揮してきたカール・マイヤーが担当している。マイヤーはムルナウ監督の「最後の人」(1924)の脚本を務めた人物だ。撮影は、同じく「最後の人」の移動カメラで名を馳せたカール・フロイントが担当し、タイトルのタルチュフ役も同じく「最後の人」に主演したエミール・ヤニングスが務めている。伝説的とも言える「最後の人」の主要スタッフ・キャストを揃えた「タルチュフ」は、ウーファにとって大作であった。当時ベルリンに作られていた豪華な映画館であるグロリア=パラストの完成を待って、こけら落とし作品として公開されたことからも、期待のほどがわかる。

 あまり評価が高くない作品だが、個人的にはおもしろかった。最も面白かったのは直接的な性的描写についてである。司祭になりすましたタルチュフは、信頼を得て家に入り込んだオルガンの妻であるエルミールの胸の谷間をいやらしく見つめる。その様子は、ヤニングスのカリカチュアされた演技と、カメラを動かしながらいやらしく胸の谷間を追うカメラによって描かれている。さらには、タルチュフが聖書でエルミールの胸を、ポンポンと叩くというムルナウの演出もいやらしい。当時、これほど直接的に性的な描写を行った映画は珍しい。しかも、これほどいやらしい演技と演出で描写を行った映画は。

 いやらしさはタルチュフによるものだが、そのタルチュフが聖職者であるという点も興味を惹いた。タルチュフ自身は好色な偽善者として描かれているが、その一方でタルチュフにすっかり騙されているオルガンは、純粋に宗教的にタルチュフを信じきっているという点は見逃してはならない。宗教の持つ危険性を、間接的にではあるが、描いていると言える。

 基本的に室内劇でありながら、映画的である「最後の人」と比較すると、「タルチュフ」は室内劇を室内劇風に撮影した作品と言える。そのために評価が低いと思われるが、内容的に楽しめる作品である。ヤニングス演じるタルチュフのいやらしさと、信仰に走り盲目的となったオルガンの姿の恐ろしさと、ただそれだけでも「タルチュフ」は一見の価値がある。