ガルボとスティルレルの幻のコンビ作「明眸罪あり」
「イバニエスの激流」がヒットしたグレタ・ガルボは、自身をアメリカへ連れてきてくれたモーリッツ・スティルレル監督の「明眸罪あり」(1926)に出演する。しかし、4分の1ほど撮影が終わった段階で、アーヴィング・サルバーグがスティルレルを降板させ、フロッド・ニブロに後を監督させてしまう。
スティルレルの仕事が遅く、シナリオに時間がかかり予算を大幅に超過したためとも、スターだったアントニオ・モレノと不仲だったためとも、スティルレルがガルボの演技をみがこうとしたが会社側が演技など不要と言ったからとも言われる。また、ガルボが人嫌いになったのは、このときのスティルレルとの強制的な別れによるともいわれている。
スティルレルが監督した仮面舞踏会の部分は、持ち味を生かした魅力を発揮するガルボが見られるという。また、他のスティルレルが監督した部分には、持ち味であるすべてに飽きたような冷酷な顔つきが見られるという。普通の女優ならば無感情、無頓着、無気力に見えるが、ガルボの場合はこうした顔つきを見せることにより、セックス・アピールを増したと言われている。一方で無感情に見えるのは、当時ガルボがMGMによって減量を命じられていたためとも考えられる。
一方で、ニブロが監督した部分はガルボを粗野に見せているという。妖婦タイプの当時のハリウッドの類型的なパターンに押し込められており、ニブロとガルボの間で言語の壁による不自由さがあったことも要因と言われている。
この作品はガルボの出世作となる。ガルボが演じた役柄は悪女とも言えるが、ガルボゆえに許されたとも言われる。アレグザンダー・ウォーカーはこの点について次のように書いている。
「ガルボがM・G・M社に大切にされたのは、彼女がその芸術的本性ゆえに、道徳家を憤慨させることなく罪を犯すことができたからである。彼女は男たちを果てしなく苦しめ続けたが、その性的な生々しさは、彼女自身も苦しみを味わっていたために許されたのである。そのうえ、彼女が罪を犯すのは弱さからであった」
「彼女はこのように個性の形而上学と芸術の力学とを他の誰よりも巧みに駆使するスター像を作り出していたのである」
- 作者: アレグザンダー・ウォーカー,渡辺武信,渡辺葉子
- 出版社/メーカー: フィルムアート社
- 発売日: 1988
- メディア: 単行本
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