イギリス映画 技術派監督アンソニー・アスクィスの登場とその他の作品

 アルフレッド・ヒッチコック以外のイギリス映画人として、アンソニー・アスクィスの活躍を忘れてはならない。アスクィスは父が首相を勤めた名家の出身であり、映画が知識階級・上流階級に食い込んだ例でもある。

 アスクィスは、1925年に渡米して映画に魅せられ、チャールズ・チャップリンやメアリー・ピックフォード、ダグラス・フェアバンクスリリアン・ギッシュと知り合いになり、撮影所にも出入りしていた。1926年に帰英し、フィルム・ソサエティの会員となる一方で、シナリオを書いて製作者H・ブルース・ウールフに送った。ウールフはアスクィスが書いたオリジナル・シナリオ「流れ星」(1927)を認め、ヴェテランのA・V・ブランブルと共同で演出を行った。男女の悲劇をメロドラマ風に追った作品だったという。

 他にも、ハーバート・ウィルコックスは「マムジー」「ポンパドゥ夫人」(1927)を監督している。「マムジー」は、アメリカからポーリン・フレデリックを招いて作られた史劇である。また、「ポンパドゥ夫人」はE・A・デュポンが製作を担当している。