映画評「猫とカナリヤ」

※ネタバレが含まれている場合があります

[製作国]アメリカ  [原題]THE CAT AND THE CANARY  [製作・配給]ユニヴァーサル・ピクチャーズ

[監督]パウル・レニ  [原作]ジョン・ウィラード  [脚本]アルフレッド・A・コーン  [撮影]ギルバート・ワーレントン  [美術]チャールズ・D・ホール

[出演]ローラ・ラ・プラント、クレイトン・ヘイル、フォレスト・スタンレー、タリー・マーシャル、ガートルード・アスター、フローラ・フィンチ、アーサー・エドマンド・ケリー、マーサ・マトックス、ジョージ・シーグマン、ルシアン・リトルフィールド

 20年前に死んだ大富豪の遺言がようやく開封される。それを聞くために集まった親族たち。遺言は開封され、遺産は若い女アナベルの元に渡ることに。しかし、遺言を管理していた弁護士は殺され、大富豪が残したダイヤモンドは盗まれ、謎の怪人が屋敷の中を闊歩し・・・

 ドイツで活躍し、表現主義の傑作の1つと言われる「裏街の怪老窟」(1924)などを監督したパウル・レニは、アメリカに渡りユニヴァーサルに入社していた。そこで渡米後の初監督作が「猫とカナリヤ」である。元々は1922年に上演されてヒットした舞台劇であり、映画化された本作もヒットした。3年後には続編「The Cat Creeps」(1930)が作られ、リメイク作も数本作られている。

 不気味な古城に集められた数人の男女、開封される大富豪の遺言状、謎の怪人の登場、そして殺人・・・とくると、オールド・ファッションな本格推理小説ファンにはたまらない設定だろう。このタイプの小説が、リアリティに配慮しながらも、それよりもとにかく雰囲気を盛り上げていくように、「猫とカナリヤ」の導入もこれでもかと言わんばかりの不気味な描写に終始している。

 古城の遠景、二重写しを使って「猫に狙われたカナリヤ」の状態にある大富豪の象徴的な描写、荒れ果てた古城の回廊を放浪するに移動するカメラ、ライティングを駆使したメイドの不気味な表情、扉を叩く手のクロース・アップ・・・導入部の映像の見事さは語りつくせない。「猫とカナリヤ」が表現主義的と言われるのは、導入部の描写にあるのだろう。他にも、怪人がダイヤを盗みシーンでは、「カリガリ博士」(1919)からのドイツ表現主義の伝統とも言える、影を使った見事な演出が見られる。

 この導入部の見事さに比べると、中盤から後半にかけての展開は、今ひとつ垢抜けないコメディという印象を受ける。そう、「猫とカナリヤ」はコメディでもあるのだ。1910年代中盤にヴァイタグラフでジョン・バニーとコンビを組んでいた、コメディエンヌのフローラ・フィンチが威厳を保とうとするが臆病な伯母さんを演じてみせる。他にも、ハロルド・ロイドに似た風貌のクライトン・ヘイルが、アナベルを助ける役柄を、臆病さを押し出して演じている。コメディの部分は決してつまらないわけではない。だが、不気味な雰囲気描写の演出の冴えと比較すると、どうしても見劣りしてしまう。

 ちなみに、この頃のハリウッド映画においては、超常現象をそのままにして終わる作品というのはなかったと言われる。誰かの手によって行われていたとか、機械仕掛けだったとか、理解可能な理由付けをされたのだ。アメリカでは、古い屋敷に閉じ込められた人々が幽霊におびえて一夜を過ごすというタイプの作品を「オールド・ダーク・ハウス」としてジャンルかされているらしい。そして、このジャンルの特徴は、科学的な説明がつくというのが条件の1つであるという。

 コメディの要素や、理由がはっきりとされるという点は、まさに当時のアメリカ映画の要素である。パウル・レニの見事な恐怖演出がドイツ的とすると、コメディや明快さはアメリカ的だ。「猫とカナリヤ」はドイツとアメリカの特徴の狭間にあって、なんとも言えない不協和音をかもし出している。そして、それが魅力でもある。

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