映画評「キング・オブ・キングス」

※ネタバレが含まれている場合があります

[製作国]アメリカ  [原題]THE KING OF KINGS  [製作]デミル・ピクチャーズ・コーポレーション  [配給]パテ・エクスチェンジ、プロデューサーズ・ディストリビューティング・コーポレーション

[監督・製作]セシル・B・デミル  [脚本]ジーニー・マクファーソン

[出演]H・B・ワーナー、ドロシー・カミング、アーネスト・トレンス、ジョセフ・シルドクラウト、ジェームズ・ニール、ジョセフ・ストライカー、ロバート・エディソンシドニー・ダルブリック、デヴィッド・インボデン、チャールズ・ベルチャー、クレイトン・パッカード、ロバート・エルズワース、チャールズ・レクア、ジョン・T・プリンス

 イエス・キリストが、人々の病気を癒したりして救世主と人々から崇められてから、十字架に磔にされるまでを描いた作品。

 キリスト教圏において、イエス・キリストは最も知られた存在であるといえるだろう。映画草創期から、シェークスピア劇など有名な物語が映像化されてきた。話術が発達していなかった当時は、誰でも知っている物語を映像化することで多かったのだ。見る人が物語を知っていることを前提として、有名な物語の一場面を映像化することで人々の興味を引いた。その点で、キリストの物語は題材としてうってつけで、アメリカ映画初の長編映画と言われる「FROM THE MANGER TO THE CROSS」(1912)も、キリストの生涯を描いた作品である。

 「FROM THE MANGER TO THE CROSS」と「キング・オブ・キングス」を見比べてみると面白い。映画がいかに話法を発達させてきたか、映画が(特にハリウッド映画が)いかに人を楽しませることに気を払うようになったかについてを理解することができるだろう。

 監督はセシル・B・デミルである。デミルと言えば、よく言えば大衆を魅了する映画を、悪く言えば俗っぽい映画を監督した巨人として有名である。社交界を舞台にしたセックス・アピールを売り物にした映画で人気を集めたが、世間の批判を浴びるようになると「十誡」(1923)で聖書劇を監督し、批判をかわした。批判をかわした上に大ヒットを記録した「十誡」の成功の延長線上で、「キング・オブ・キングス」が作られたことは想像に難くない。

 作品は見事にデミル色だ。デミル自身のプロダクションによって製作されているためかもしれない。デミル堕落した生活を送っているマグダラのマリアの描写は、お得意のセックス・アピールを盛り込んでいる。上半身裸に蛇のような渦巻状のアクセサリーで胸を隠しているマリアの姿は、聖書劇のイメージとは程遠い。しかし、そのマリアはキリストと出会い、改心することが免罪符となっている(この免罪符は後年のプロダクション・コードの回避方法と同じであり、アメリカの伝統的な価値観と言えるかもしれない)。ラストは、キリストの姿と現代の街並みの映像をダブらせて、現代人もキリストの教えを守るべしという教訓が明確に刻み込まれている。

 「FROM THE MANGER TO THE CROSS」の演出が平板なのに対して、デミルの演出は工夫に凝らされている。キリストが画面に初めて登場するシーンは、主役が登場する重要なシーンだ。デミルは、目が見えない少年が光を取りもどすというストーリーの進展とともに、少年が光をとりもどすと目の前にキリストがいるという美しい形でキリストを画面に初登場させている。マリアがキリストと出会い、思い悩むシーンでは、マリアの周りには悪魔たちが二重写しで映し出される。ジョルジュ・メリエスの時代から使われている、映画の古典的なテクニックをデミルは見事に使いこなしている。キリストが磔になった後に起こる嵐のシーンでは、山が崩れるなどのスペクタクル・シーンで圧倒させてくれる。また、キリストの復活のシーンでは、テクニカラーで撮影されている。

 淀川長治によると、「キング・オブ・キングス」は大晦日や復活祭などで繰り返し上映されるほど、アメリカ人に愛されている作品なのだという。現在ではどうか分からないが、キリストの生涯を知ろうと思ったときに、教科書的な作品と言えることは確かだろう。

 では、面白いかというと、正直に書くと、私はあまりそうは思えなかった。その理由はストーリーにある。キリスト教徒ではない私にとっては、キリストの物語も1つの物語に過ぎない。キリストが葛藤するようなシーンもあるのだが、浅く感じられてしまった。それでも、デミルの映画人としての見事な感覚や、演出の見事さは認めなければならないだろう。


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