ジョルジュ・サドゥール「世界映画全史」(その2)

 ジョルジュ・サドゥールと「世界映画全史」だが、いろいろと難をつけられている部分もある。

 まず、サドゥールが映画を「進化」してきたという考えを持っていた事。少し極端に言うと、リュミエール兄弟の映画が1ショットのみで、光景をただ撮影しただけなのに対し、ジョルジュ・メリエスが演劇的手法を持ち込むことで「進化」し、さらにブライトン派の人々がクロース・アップやカットバックなどの映画ならではの技法を利用する事で「進化」したというもの。これは、少し極端に書いた。映画史家として、後年の劇映画の繁栄ぶりを説明するためにやむを得ないという部分もあると思うが、確かに「進化」にとらわれているようにも思える部分はある。

 もう1つは、サドゥールが欧米、特にフランスとアメリカの記述に偏っているということ。日本についての記述もほとんどない。「世界映画全史」が書かれた時代のイデオロギーや、調べることができた資料を考えると致し方ない部分もあると思うが、こちらも確かにそう思える。

 ということは決してサドゥールや「世界映画全史」の価値を貶めるものではないだろう。ようはそういったことを頭に入れて読めばいいわけだ。

世界映画全史 (1)