その他の開発者たち(1)

 マレーによって、かなりのところまで映像の機械の完成度が高まっていったこの時代に、後に有名になるエジソンや、リュミエールの兄弟の他にも映像の機械の開発をしていた人々がいた。そのうちの何人かを紹介しよう。

 ジョルジュ・ドゥメニはマレーの助手として、活躍した人物だった。彼はマレーのものを改良した撮影機の特許を取った。ドゥメニは連続した写真を上映するのではなく、家庭で簡単な映像を見られる家具として売り出そうとした。知り合いになったリュミエール兄弟に事業に参加するように誘ったりもするが、独自に機械を開発していたリュミエール兄弟に断られる。結局、事業は失敗に終わる。後に映写式の機械を開発するが、すでに時代はリュミエール兄弟のものだった。
 ドゥメニは映像の使い方を読み間違えたようだ。長いフィルムを入手することができなかったというハンデもあったらしく、そのことがドゥメニの発想を狭めた要因だったのかもしれない。短いフィルムの短い映像ならば、家庭の家具でも十分ともいえるわけだから。