映画の興行的・娯楽的祖先(5) パノラマ

 円筒形の建物の内側に装備された円筒状の巨大な画布(直径19〜40メートル)が中央に座った観客の周りをゆっくりと回転していく。画布にはだまし絵手法で様々な光景が描かれ、人々の目を楽しませた。

 パノラマ劇場は1800年代のヨーロッパやアメリカのいたるところに広まり、自然や都市の景色に続いて歴史上の大きな戦闘がパノラマになった。日本にも1890年とかなり遅くにパノラマ館が作られている。

 映画機械の発明家だったル・プランスはパノラマ製作に関わった。絵ではなく写真でパノラマを実現しようというのが、映画機械開発の動機の一つだったと言われている。

 有名な光景や有名な出来事をビジュアルで知りたいという欲求は人間にあり、パノラマはそれに応えていたといえる。映画(後にはテレビも)が後にパノラマに代わって、その欲求を満たしてくれることになる。

 本を読むと、ル・プランスは映画の商業的な成功を確信していたようだ。その理由は、パノラマの仕事に関わっていたからかもしれない。人間の持つ欲求を満たすもの、それは間違いないく商業的に成功するわけだから。