映画専門館のオープン

 4月、ロサンゼルスに映画専門館のエレクトリック・シアターがオープンしている。

 それまで映画専門館がなかったわけではないが、数は少なかった。多くはミュージック・ホールのような盛り場、露天興行師、巡回興行師によって上映されていた。しかも、これらでは映画の上映だけが出し物だったわけでない。他の出し物(それは蓄音機のような新しい機械を体験できるものだったり、マジックだったりした)と一緒に、総合的なプログラムの中の1つとして映画は存在していたのだ。映画はその中で徐々に最も人気のあるプログラムとなっていくが、まだ専門館の数は少なかった。

 また、映画を見に行くことは不道徳なことというイメージがあった。盛り場で上映されていたことからもわかるように、決して女性や子供が一人で気軽に見に行けるというものではなかった。また、観客を呼ぶために、作品も猥褻なもの(といっても、スカートがめくれるといった程度だが)が増えていた。

 エレクトリック・シアターは10セントという、当時の映画の相場としては高い料金を設定する代わりに、映画を見に行くというイメージの後ろ暗さを消した。高い料金に設定することによって、見に来る観客は中産階級が多くなった。労働者階級の人々は、エレクトリック・シアターではなく、露天興行やミュージック・ホールなどで映画を見た。労働者階級が映画専門館に足しげく通うようになるのは、ニッケルオデオンと呼ばれる映画専門館が大量に作られるようになってからである。