パテ社の好調

 フランスのパテ社は引き続き好調だった。ニュース映画の分野では、再現した作品ではなく、本物の場面を撮影したニュース映画を製作するようになった。

 トリック映画の分野では、この分野のパテ社の第一人者だったガストン・ヴェルがイタリアのチネス社へと移ってしまったため、リュシアン・レピーヌが「悪魔の子供」(1906)といった作品を製作している。しかし、このレピーヌもイタリアへと移ってしまい、パテ社は後任として、セグンド・デ・チョモンが雇われている。

 劇映画の分野では、「恋愛期」(1906)、「レスラーの妻」(1906)といった、恋愛を描いたドラマが製作された。

 また追っかけ映画、喜劇映画の分野では、「かつら取り競争」(1906)が製作されている。また、アンドレ・デードが間抜けなボワローを演じた<ボワロー>シリーズもこの年から1908年にかけて製作された(当時、俳優の名前は人々に知られていなかったが、このシリーズでアンドレ・デードは最初に知られる映画俳優となったといわれている)。

 シナリオは新聞や大衆小説、民間伝承から取ったり、盗作したりして作られていたが、人気のある作家を使うことで宣伝になるということをパテ社は思いついた。パテ社はダニエル・リシュという作家にシナリオを頼み、有名作家のシナリオによる第一作「夫妻は女中を欲しがっている」(1908)を製作した。

 パテ社の作品は、剽窃が多かったが、その中から徐々に質的な向上が生まれてきており、この年の作品からはスタイルの新しさを感じることができるとされている。