ジョルジュ・メリエス作品集(17)

「Good Glue Sticks」(1907)

 2人の警官に邪魔された露天商が、2人の警官の制服の袖を接着剤でくっつけてしまう。怒った警官は、露天商のズボンの尻に接着剤をつけてドアに貼り付ける。

 メリエスのトレードマークである映像トリックがこの作品では使われていない。スラップスティック喜劇であるこの作品は、舞台のコントを撮影したような趣だ。悪くはないが、映画独特の面白さに欠ける。後のキーストン喜劇のようなキャラクターによるおもしろさもない。

 人気を落としていたメリエスの苦悩が伺える作品だ。


「ROBERT MACAIRE ET BERTRAND」(1907)

 製作国フランス 英語題「ROBERT MACAIRE AND BERTRAND」
 スター・フィルム製作 監督ジョルジュ・メリエス

 19世紀末のフランスを舞台にした、2人組の逃走劇。フランスでは有名な話なのだという。

 この頃、映像トリックをメインにしたメリエス作品は、人々に飽きられてきていたと言われている。現実的なストーリーのある作品という点で、メリエスの工夫を感じ取ることはできる。とはいえ、舞台をそのまま撮影したようなスタイルに加えて、撮影されている舞台的な展開も今一つ面白さを感じ取ることはできなかった。


「DEUX CENT LILLES SOUS LES MERS」(1907)

 製作国フランス 英語題「UNDER THE SEA」
 スター・フィルム製作 監督ジョルジュ・メリエス 原作ジュール・ヴェルヌ

 ジュール・ヴェルヌ原作の「海底二万里」の映画化であるが、「海底へ行く」という大枠だけを使った作品といえる。

 ファンタジーはメリエスの得意分野であり、この作品でも二重写しやストップ・モーションなどの映像トリックに加えて、キッチュな造形の海の生き物を登場させてメリエスならではの作品に仕上げている。とはいえ、月を海底にしただけと言ってしまえばそれまでで、メリエスの行き詰まりを感じさせもする。


「LE MARIAGE DE VICTOIRE」(1907)

 製作国フランス 英語題「HOW BRIDGET’S LOVER ESCAPED」
 スター・フィルム製作 監督ジョルジュ・メリエス

 女中と逢い引きしていた兵士が、他の人々にばれて屋根伝いに逃げ出す。

 メリエス作品のイメージとは遠い、追っかけコメディ。どうせなら、お得意のストップ・モーションを使ったシュールな追っかけを見せて欲しいとも思ったりもする。


「SATAN EN PRISON」(1907)

 製作国フランス 英語題「SATAN IN PRISON」
 スター・フィルム製作 監督ジョルジュ・メリエス

 刑務所に入れられた男が、家具などを取りだしていき、しまいには美しい女性まで登場させる。

 ラストにちょっとしたひねりがあるものの、基本的にはこれまでに作られてきたメリエス流のストップ・モーションを使った映像トリック作品である。


「FRANCOIS LER ET TRIBOULET」(1907)

 製作国フランス 英語題「THE KING AND THE JESTER」
 スター・フィルム製作 監督ジョルジュ・メリエス

 退屈している王様のために、道化が美しい女性を登場させる。

 登場した美しい女性が、足の下にある台をどかしても空中に立っているというイリュージョンを見せてくれる。二重写しであれば簡単に表現できるものの、映像を見ただけではそうも見えず、どう撮影したのか不思議だ。


「Long Distance Wireless Photography」(1908)

 巨大な暗幕で映像を映し出すことが出来るカメラの前に、老紳士が座るとなぜか猿の顔が映し出される。

 二重露出を使った作品で、6分という比較的長い作品となっている。無用に長い印象を受け、アイデアもこれまでの焼き直しのように感じられた。


「THE KNIGHT OF BLACK ART(LE TAMBOURIN FANTASTIQUE)」(1908)

 マジシャンが2つの輪を使ってタンバリンのようなものを作り、そこから様々なものを取り出す。

 アイデアは焼き直しで、正直最初に無地のタンバリンにメリエス自身が書く絵のうまさが最も印象に残った。だが、最後に2つの輪を地面に並べて、一瞬のうちに自転車に変わり、それに乗ってメリエスが退場するアイデアは秀逸。


「IN THE BOGIE MAN’S CAVE(LA CUISINE DE L’OGUE)」(1908)

 怪物が子供を誘拐して殺し、肉を食べるために火にかけるうちに眠ってしまう。

 その隙に、怪物が殺した子供たちが女神に率いられて甦り、怪物に復讐する。

 この作品は残虐性が特徴的だ。怪物が子供を裁断する姿は、人形であることが分かっているとはいえ、残酷だ。しかも、その肉をミンチ状にして火かけるのである。

 その後の展開は、メリエス作品でおなじみのものである。

「JUSTINIAN’S HUMAN TORCHES 548 A.D.
(LES TORCHES HUMAINES)」(1908)

 皇帝たちが宴席の肴に、人をくくりつけたトーチに火をつけて楽しむ。

 タイトルの年代から東ローマ帝国ユスティニアヌス1世をモデルにした作品と思われるが、史実に基づいているのかは確認できなかった。ヨーロッパでは有名な話なのかもしれない。

 その残虐さから、史実を知っている人にとっては好奇心を満たすものだったのだろう。


「THE GENII OF FIRE(LE GENIE DU FEU)」(1908)

 禁じられた洞窟に入ってしまった男女が、そこの主たちに火の力で目をつぶされてしまう。

 男女が火によって目を潰されるシーンでの、三重露出による花火を使った描写は、これまでのメリエスの作品と比べても豪華さだ。

 この頃のメリエスは、かつてはマジックのような舞台上の出し物のように見せていたものを、少しでもストーリーに絡ませて撮影している。


「WHY THAT ACTOR WAS LATE」(1908)

 舞台に遅れそうな役者が、カフェから楽屋まで急いで駆けつける。

 当時よく作られた追っかけ映画のメリエス版だ。ロケは使われず、セットのショットを編集でつなげることで組み立てられている。これといった特徴も、これといったアイデアも感じられなかった。


「DREAM OF AN OPIUM FIEND
(LE REVE D’UN FUMEUR D’OPIUM)」(1908)

 アヘンを吸ったビール好きの男が、美しい月の女神が現れる夢を見る。

 「月世界旅行」(1902)と同じ手法で、顔のついた月が拡大されてビールを飲む描写がメリエスらしさを醸し出しているとはいえ、全体的に工夫に乏しく、焼き直し的な印象を受けた。


「THE PROPHETESS OF THEBES(LA PROPHETESSE DE THEBES)」(1908)

 預言者が王に頼まれて、未来の姿を映写するが、そこには王が暗殺される未来が映し出されるのだった。

 私が見たのは、王が暗殺される未来が映写される部分からのみで、それ以前の部分は失われてしまったようだ。預言者が未来を映し出すという設定は、映像トリックを正当化してドラマに組み込むという意味において、うまくはまるように思える。


「IN THE BARBER SHOP(SALON DE COIFFURE)」(1908)

 白人女性と黒人男性が同時に美容室に入ってくるが、終わると黒人女性と白人女性になってしまっていた。

 ヴォードヴィルの出し物の映像化といった作品。人種差別的な側面があるのも、時代を反映している。ラストはパウダーが舞い散るカオスの中で、美容室の従業員3人によってしっかりと締められているのもまた、ヴォードヴィル的だ。


「THE NEW LORD OF THE VILLAGE
(LE NOUVEAU SEIGNEUR DU VILLAGE)」(1908)

 新しく村に着任した傲慢な村長が、洞窟の中にいる妖精たちによって、みすぼらしい姿に変えられてしまう。

 教訓劇でもあり、民話的でもある作品。書き割りの怪物たちやシーツを頭から被ったゴースト、突如現れる女神たちといったメリエス作品に繰り返し登場する要素が、物語として1つになっている。目立たない地味な作品で、決して面白い作品とも思わないが、メリエス流な教訓劇・民話として記憶にとどめておくべき作品といえる。


「THE MISER(L’AVARE)」(1908)

 強欲な金貸しが金の入った箱をなくしてしまい、自殺しようとするが通りがかった人々に止められる。

 この頃のメリエスが、ヴォードヴィルなどに加えて、ドラマの分野にも足を踏み込んでいることが分かる作品だ。しかし、同年に作られたフィルム・ダール社の「ギーズ公の暗殺」(1908)がそうであるように、舞台を撮影し方のような作りであるのが残念だ。

 とはいえ、当時頭からつま先までが画面に入っていることが当然だった時代において、カメラに人が近づいてくるショットがあることは注目に値する。「月世界旅行」(1902)の月のように、被写体をカメラに近づけることは、メリエスは以前から行っていた。だが、カメラを被写体に近づけるという発想は思いつかなかったようだ。メリエスが舞台の出し物から派生してきた人物であることの限界だったのかもしれない。


「SIDE SHOW WRESTLERS(LE CONSEIL DU PIPELET)」(1908)

 元気のない男が友人たちに連れられて観客参加レスリング興行に行き、レスラーを倒してしまう。

 かつて「常識はずれの新たな戦い」(1900)で、ストップモーションを使った入れ替えトリックで、有り得なくも楽しい作品を送り出したメリエスだったが、この作品では冗漫な作品を送り出している。

 最近元気がないことを男が話すやり取りも、レスリング興行の入り口で興行師が人々を呼び込むシーンも映画を楽しくするのには役に立っていない。肝心のレスリングも、多少の映像トリックが使われているものの、かつてのようなトリックの連続による魅惑はない。

 以前の作品に似た部分があるために、物足りなさが物悲しさすら感じさせる作品である。


「THE WOES OF ROLLER SKATES」(1908)

 遊びでローラースケートを履いた男女が、家の中を滅茶苦茶にしてしまい、警察に逮捕される。

 ローラースケートはコメディに格好の題材で、同年にフランスのマックス・ランデーが「スケートをする人の初滑り」(1908)という作品で最初のヒットを飛ばしたと言われている(どちらかが真似をした可能性もある)。また、ランデーの影響を受けているというチャールズ・チャップリンも、「チャップリンのスケート」(1916)で見事なローラースケート芸を見せてくれる。

 この作品は、スケート芸ではなく、スケートによる混乱をコメディとして描いた作品だ。メリエスの代名詞である映像トリックは使われていないものの、コメディとしては面白い。スケートを押収した警官たちが、試しにスケートを履いてみるものの、うまく滑れずに暴行犯人を追いかけられないという展開も、キーストン・コップを思わせる楽しさを感じさせる。


「HIS FIRST JOB(AMOUR ET MELASSE)」(1908)

 雑貨店に勤めることになった男は失敗ばかりで、店の中を滅茶苦茶にしてしまう。

 ヴォードヴィルのコメディを撮影したかのような作品である。カメラは相変わらず固定で、映像トリックも使われていない作品だが、最後に登場人物がカメラに近づく点は注目すべき点だろう。メリエスは、カメラを動かすことに思い至らなかったが、人物をカメラに近づけることでクロース・アップに似た効果をあげている。他の作品でも、同じ手法は使われており、とことんまで舞台人だったメリエスが思いついた映画的手法と言えるだろう。当時の他の人物の作品でも行われているらしいが。


「THE MISCHANCES OF A PHOTOGRAPHER
(LES MESAVENTURES D’UN PHOTOGRAPHE)」(1908)

 仮装して写真を撮ることにした男女が、1人の男のいたずらで、放水ホースにより水浸しになる。

 発想は、リュミエール兄弟の作品にも見られるものだ。水浸しになるという設定は、分かりやすくコメディとなりえる。だが、発想も撮影も、工夫は感じられない作品である。


「AN INDIAN SORCERER(LE FAKIR DE SINGAPOUR)」(1908)

 魔術師が巨大な卵を登場させ、2つに割る。各々に鶏の卵を入れて合体させると、中から鶏が産まれる。

 発想が面白く、ストップ・モーションを使った映像トリックも効果的に使われている。一方で、かつてのメリエス作品の焼き直し、舞台を東洋にして新鮮味を加えようとした焼き直しのように感じられてしまう。また、ストップ・モーションを使った映像トリックでのつなぎ目の甘さが気になる。かつての作品よりも、人が動いてしまっているのだ。こういったところに、メリエスの映画への情熱が薄れてしまっているのではないかという妙な勘繰りをしてしまい、少し寂しくなる。


「A TRICKY PAINTER’S FATE」(1908)

 画家が止まっている列車に忍び込んで、いろんな人物の絵を窓から外に見えるようにして通行人を驚かす。

 発想は面白いが、あまりうまく生かされていないように感じられる。最後は、みんなに画家がとっちめられて終わる。


「FRENCH COPS LEARNING ENGLISH
(FRENCH INTERPRETER POLICEMAN)」(1908)

 英語学校でフランス人警官たちが勉強している。女性との会話の練習から、ダンスへと変わっていく。

 いろいろと面白くなりそうな設定なのだが、結局は警官たちが女性たちに色目を使うという、新鮮味に欠ける展開になってしまっているのが残念だ。ちなみに、女性たちは明らかに男性が演じており、彼らがダンスになると突如として側転などを見せるのが、この映画最大の見せ場だろう。


「NOT GUILTY(ANAIC OU LE BALAFRE)」(1908)

 殺人の濡れ衣を着せられた男。事件を目撃していた女性は、一時的に目が見えなくなってしまっている。

 10分ほどのドラマだが、舞台を撮影するスタイルで作られ、映画的な工夫はない。加えて、ストーリー的にも特に注目すべき点はない作品だ。


「A GRANDMOTHER’S STORY
(CONTE DE LA GRAND-MERE ET REVE DE L’ENFANT)」(1908)

 1人の少女が夜寝ていると、おばあちゃんの話で聞いた通りの妖精の世界へと、連れて行かれる。

 この作品は非常にシンプルで、それほど工夫に凝らされているわけではない。時間もゆったりと流れるこの作品は、決して面白い作品ではないだろう。これまでのメリエスの作品に多く登場したモチーフの焼きなおしと言ってしまってもいいだろう。

 それでも、この作品がどこか愛らしく感じられるのは、メリエス映画の原点である「夢」とか「ファンタジー」というものの基本形であるからだろう。人間の無限の想像力を、メリエスがひたすら信じていることの証のような作品なのだ。おそらく、メリエスの作品を多く見てこなかったら、この作品はただの1本の作品に過ぎなかったと思われる。メリエスの作品を嫌というほど見てきたからこそ、この作品に愛着を感じるのだろう。


「PHARMACEUTICAL HALLUCINATIONS
(HALLUCINATIONS PHARMACEUTIQUES OU LE TRUC DU POTARD)」(1908)

 薬屋が幻覚を見て女神に諭され、それまでとは異なり、貧しい人にも薬を分け与えるようになる。

 今までにもあったパターンの内容が、14分かけて語られる。少し長い。


「THE GOOD SHEPERDESS AND THE EVIL PRINCESS
(LA BONNE BERGERE ET LA MAUVAISE PRINCESSE)」(1908)

 不幸な境遇にある少女が女神によって助けられる一方で、悪い王女は女神によって転落させられる。

 話自体にはこれといった特徴はないのだが、セットや衣装などに金のかかった作品である。特に、悪い王女を痛めつけるために登場する巨大な顔のセットは、口が上下に動く精巧なもので、それ自体だけでも一見の価値がある。メリエス作品の特徴の1つに、メリエス自身によると言われる見事なセットがあるが、この作品にはその魅力が詰まっている。


「THE DIABOLIC TENANT(LE LOCATAIRE DIABOLIQUE)」(1909)

 男がカバン1つで部屋を借りる。カバンの中から次から次へと家具を取り出し、最後には家族まで出てくる。

 メリエスの十八番であるストップ・モーションを使った映像トリックを駆使した作品。これまでの焼き直し的な作品といってしまえばそれまでだが、これでもかと連続して家具を取り出す様子には、どこかメリエスのストップ・モーションへの愛すら感じられる。


「WHIMSICAL ILLUSIONS(LES ILLUSIONS FANTAISISTES)」(1909)

 マジシャンと助手が、いろんな物を取り出したり、消したりして、最後には女性を登場させる。

 これまでのメリエスの作品の焼き直しといってしまえばそれまでだし、まさにその通りの作品だ。だが、マジックの舞台を撮影するようなストレートな撮り方で、ハンカチや箱からいろんなものを取り出すというマジックの基本を見るような内容で、最後には女性が登場するというメリエスが好きなパターンで締められているこの作品は、メリエス後期の作品ということもあり、マジック型の作品の集大成的な印象を受けて、どこかせつなさすら感じさせる。


「BARON MUNCHAUSEN'S DREAM
(LES HALLUCINATIONS DU BARON DE MUNCHAUSEN)
(ミュンヒハウゼン男爵の幻覚)」(1909)

 飲みすぎた男爵は夢を見る。夢の中では、古代エジプト古代ギリシア、地獄のようなところへと次々に移動し、それぞれで化け物に襲われたり、嫌な目に遭う。

 「ほら吹き男爵の冒険」で知られるミュンヒハウゼン男爵の物語は、メリエスの世界にぴったりと合う。1つ1つはこれまでにも見たことがあるなのだが、それが次から次へと移り変わって映し出されると圧巻だ。まるで、メリエスが映画製作を行ってきた10数年を振り返っているかのようだ。

 作り物のキッチュなドラゴンや、長い足が生えた巨大な蜘蛛といったモンスターは、これまでの作品にも登場してきたが、この作品では今まで以上に不気味な(一方で愛嬌もある)動きを見せる。また、これまでに何回も登場してきた月は、ここで長い舌を延ばして気持ちの悪い動きを見せてくれる。これらのモンスター群を見るだけでも、この作品を見る価値があると思う。

 舞台を撮影するというメリエスのスタイルはここでも変わっていない。だが、ぴったりと合った題材に恵まれて、メリエスのスタイルの中でできる最大限のことを、この映画では見せてくれている。


「HYDROTHERAPIE FANTASTIQUE」(1910)

 製作国フランス 英語題「THE DOCTOR’S SECRET」
 スター・フィルム製作 監督ジョルジュ・メリエス

 太った男が痩せるために医者の所にやって来る。医者は怪しげな機械を駆使して男を痩せさせようとする。

 いろいろな機械を試すがうまくいかず、そのうち機械が爆発して太った男がバラバラになってしまう。バラバラになった頭、手足、胴体をくっつけるところでストップ・モーションを使った映像トリックを見ることができるが、それまでは非常に舞台的な演出だ。バラバラになった人間をくっつけるというアイデア自体は以前のメリエスの作品にもあったものである。

 メリエスがデザインしたであろうと思われる機械の面白さなどに見どころがあるものの、アイデアの焼き直しであることは否めない。この頃にはメリエスの作品は飽きられてしまっていたと言われている。メリエスが新しいタイプの作品を生み出すことができなかった証左がここにある。


「LE VITRAIL DIABOLIQUE」(1910)

 製作国フランス 英語題「THE DIABOLICAL CHURCH WINDOW」
 スター・フィルム製作 監督ジョルジュ・メリエス

 悪魔が科学者のところにおいた窓は、美しい女性が登場しては消えていくという不思議な窓だった。

 ストップ・モーションを使った映像トリックによる人物の登場と消失、美しい女性、悪魔といったメリエス的な要素が満載だが、取り立てて新しい部分はない作品だ。8分弱という時間は長く感じられ、もっとも短いメリエス作品にあったテンポの良さも感じられない。

 時は1910年。映画はスタジオから外に出て、カメラは動き、物語を語る工夫がされ始めていた。メリエスは完全に時代遅れになっている。だが、それでも変わらないメリエスの作品には、変わることのできない男の生き様が詰まっている。面白い作品ではないかもしれない。だが、メリエスの作品であることは間違いない。


「THE CONQUEST OF THE POLE(A LA CONQUETE DU POLE)(極地征服)」(1912)

 各国から集められた冒険家たちが、飛行機に乗って極地へと探検に出かける。

 「月世界旅行」(1902)を始め、メリエスには探検をする映画が何本かある。そして、その構成はどれも同じだ。最初は人びとが集まって議論しており、次に乗り物が紹介されて出発。道中が描かれ、到着した場所で何か困難に遭うというものだ。

 今までの同系統の作品と同じ構成ながら、この作品は30分あり、他のどの作品よりも長い。それは、どうやっても一緒に行こうとする女性の存在だったり、飛行機に乗っている間に背景に映る星などを映したシーンが長いからだ。そのため、「月世界旅行」のようなキレがない。

 極地で出遭う、雪のモンスターの造形や動きは見事だ。だが、過去の作品のキレのない焼き直しという印象は、モンスターだけでは救えない。


「CINDERELLA(CENDRILLON OU LA PANTOUFLE MERVEILLEUSE)(シンデレラ)」(1912)

 有名なシンデレラの物語。

 パテ配給作品と製作し、パテのフェルディナン・ゼッカによりカットされたシーンがあるという作品である。かなりストレートに映画化されており、メリエスらしさは女神がトカゲなどの動物たちをシンデレラの召使いに変身させるシーンと、12時を過ぎて急いで帰らなければならないシンデレラの焦りを巨大な時計(時間の数字の部分が顔になったりする)といったところだろうか。もしかしたら、カットされた他の部分には、もっとメリエスらしさが残っているのかもしれない。

 一方で、逆にメリエスらしくないショットもある。それは、ガラスの靴に合った女性を王の家来たちが探すシーンで、通常のメリエス作品よりも、靴を履く女性たちの様子にカメラが寄っているのだ。もしかしたら、このショットだけは、他の誰かが撮影して付け加えたのかもしれない。そして、ショットはテーブルの上に次から次へと女性たちが足を差し出して、家来たちがうんざりしながら靴を履かせてみるという効果的なショットとなっている。この点だけでも、メリエスがいかに時代遅れになっていたかが感じられる。


「THE VOYAGE OF THE BOURRICHON FAMILY
(THE VOYAGE OF THE BOURRICHON FAMILY)」(1913)

 ブーリション家の人びとが旅行先で様々な災難に遭う。

 この作品は、ジョルジュ・メリエスの最後の作品である。だが、実際は別の人物に撮影を頼んだという話もある。完成した作品は、パテ社が配給する予定だったが、出来の悪さからお蔵入りになったとも言われる。

 この頃のメリエスは、かつて多用したストップ・モーションのトリックも前面に出して使わなくなり、使った場合も密かに使う場合が多かった。その意味で、トリックは物語を語るテクニックの1つとなったとも言えるが、メリエスの物語の語り方は舞台の枠から出ることはなかった。この作品も、舞台を撮影するような撮影方法で撮られている。

 当時の物語を語る作品が、舞台の枠から離れて映画的手段を駆使していた頃、メリエスはあくまでも舞台人としての枠から抜け出すことはできなかった。しかし、メリエスの功績は消えるわけではないし、今見るとメリエスの舞台にこだわった物語の語り方にも違った魅力がある。ただ、この作品はあまり面白くないが。



私が見たメリエスの映画が見られるDVD・ビデオ
「THE MOVIE BEGIN」(アメリカで発売されているDVD)
「フランス映画の誕生」(ジュネス企画
本「死ぬまでに見たい映画1001本」の付録
死ぬまでに観たい映画1001本