映画製作の変化(1908)

 1908年まで、生フィルムの製作はイーストマン社が独占して行っていた。だが、映画製作の面で市場を独占する勢いだったパテ社が、生フィルムの製造を始めている。

 これまでパーフォレーション(フィルムを送るためにフィルムの両端に空けられた穴)の不揃いによって、映画の上映はチラつきを伴い、観客にとっては非常に眼が疲れていたが、パーフォレーションを開ける穿孔機が改良され、さらに映写機自体も改良され、チラつきが防止されるようになった。このことによって、観客は長時間の上映にも耐えられるようになり、上映時間が長くなっていった一因となった。

 また、この頃から、セットなどの製作費、スターへの出演料、原作料などにより、映画の製作費がどんどん高くなっていく。このことが、巨大な映画市場を保有するアメリカが映画の覇権を握っていく要因の1つとなっていく。



(映画本紹介)
魔術師メリエス―映画の世紀を開いたわが祖父の生涯

 ジョルジュ・メリエスの孫であるマドリーヌ=マルテット・メリエスによるジョルジュ・メリエスの評伝。メリエスの映画製作はもとより、妻や愛人の関係や映画製作を行わなくなってからのメリエスの様子などが描かれている。
 映画製作を行わなくなった後のメリエスが、世間的に言われるほど不幸ではなかったことがわかる。
 身内が書いているので、メリエスびいきになっているのを考慮に入れて読む必要がある。