ヨーロッパにおける映画興行

 フランスにおける映画興行の面でも、パテ社が活躍した。1908年当時、パリには50館ほどの映画館が存在していたが、そのうちの4分の1ほどをパテ社が所有し、同時に地方での興行も強化していた。しかし、フランスの映画興行の発展はゆっくりとしていた。その理由は、フランスでは工業化が進んでいなかったためと思われている。

 イギリスでは、工業化が進んでいたためと、ミュージック・ホールのチェーン網があったために興行は隆盛を誇っていた。ロシアでも、1908年にモスクワには100館ほどの映画館が存在していたという。映画製作の面でも活躍を見せていたイタリアは、大都市では映画館が急激に発展していた。これらの国に対して、ドイツでは工業化が進んでいたが、他の国と比べて映画興行は発展しなかったといわれている。



(映画本紹介)
魔術師メリエス―映画の世紀を開いたわが祖父の生涯

 ジョルジュ・メリエスの孫であるマドリーヌ=マルテット・メリエスによるジョルジュ・メリエスの評伝。メリエスの映画製作はもとより、妻や愛人の関係や映画製作を行わなくなってからのメリエスの様子などが描かれている。
 映画製作を行わなくなった後のメリエスが、世間的に言われるほど不幸ではなかったことがわかる。
 身内が書いているので、メリエスびいきになっているのを考慮に入れて読む必要がある。