1908

 フランス ゴーモン社の作品 1908年

「FANTASMAGORIE」 ゴーモン社、エミール・コール監督 アニメ映画の先駆者として知られるエミール・コールの作品。 ストーリーなどなく、ひたすらアニメならではのシュールな映像の展開が楽しい作品。 「糸紡ぎの伝説(LA LEGENDE DE LA FILEUSE)」 ゴーモン社…

 フランス パテ社の作品 1908年(4)

「TROUBLES OF A GRASSWIDOWER」 フランス、パテ社、マックス・ランデー主演作品。 妻が家出したマックスは自由になったと喜ぶが、料理や掃除などの家事の一切ができずに困り果ててしまう。 マックス・ランデーと言えば、初期フランス映画を代表するコメディ…

 フランス パテ社の作品 1908年(3)

「THE DOG AND HIS VARIOUS MERITS」 フランス、パテ社の作品。数々の場面で活躍する犬の様子を撮影。 DVD「THE MOVIE BEGIN」に収録されているのは4場面なのだが、本来の作品は他に数場面あるらしい。だが、キツネの首に噛み付いて殺すといった残虐なシ…

 フランス パテ社の作品 1908年(2)

「MAGIC BRICKS」 フランス、パテ社の作品。 2人組の中国人風の男(演じているのはおそらくフランス人)が箱を使った奇術を披露する。 ジョルジュ・メリエスの作品を思わせる内容だが、後半がちょっとした工夫が凝らされている。小さな箱を積み重ねて、そこ…

 フランス パテ社の作品 1908年(1)

「THE PHYSICIAN OF THE CASTLE」 フランス・パテ社製作。 2人組の強盗が、偽の手紙で医者を外出させて強盗に入る。医者の妻は医者に電話で事態を伝え、医者は大急ぎで戻ってくる。 D・W・グリフィスが後に「淋しい別荘」(1909)としてリメイクする作品…

 イギリス・CLARENDON社の作品 1908年

「THE TEMPEST」 イギリスの映画製作会社Clarendon社による作品。監督はPercy Stow。 ウィリアム・シェイクスピアの「テンペスト」の映画化。12分に凝縮したストーリーは、原作を知らないとわかりづらいと思われる。 ロケとセットを組み合わせた作品だが、…

 D・W・グリフィスの作品 1908年(2)

「THE TAMING OF THE SHREW(じゃじゃ馬馴らし)」 アメリカン・ミュートスコープ・アンド・バイオグラフ社(後のバイオグラフ社)の作品。 D・W・グリフィスが監督したこの作品は、シェイクスピアの「じゃじゃ馬馴らし」の映画である。 原作を一巻(17分)…

 D・W・グリフィスの作品 1908年(1)

「THE ADVENTURES OF DOLLIE(ドリーの冒険)」 アメリカン・ミュートスコープ・アンド・バイオグラフ社の作品。D・W・グリフィスの監督デビュー作として有名。 「ドリーの冒険」は、D・W・グリフィスの監督デビュー作にして、後のグリフィス映画およびアメ…

 ヴァイタグラフ社の作品 1908年

「THE THIEVING HAND」 ヴァイタグラフ社による作品。 左手を失って物乞いをする男が、ある金持ちが落とした指輪を正直に届けたお返しに、義手を買ってもらう。だが、この義手は男の意思とは無関係に通りがかりの人からスリを働いてしまい、最後には刑務所へ…

 バイオグラフ社の作品 1908年

「CAUGHT BY WIRELESS」(1908) 製作国アメリカ アメリカン・ミュートスコープ・アンド・バイオグラフ製作・配給 監督ウォレス・マッカッチョン 撮影ビリー・ビッツァー 出演D・W・グリフィス 借金の取り立て屋を殴った男が、警察に追われる身となる…

 エジソン社の作品 1908年(3)

「CUPID’S PRANKS」 キューピッドが2人の男女を結びつけるために活躍するが、最後には失敗してしまう。 この年のバレンタイン・デイに合わせて公開される予定だったが、少し遅れてしまったらしい。また、この作品にも、当時まだ俳優だったD・W・グリフィ…

 エジソン社の作品 1908年(2)

「FIRESIDE REMINISCENCES」 妻が妻と兄といるところを見て浮気していると勘違いし、家から妻を追い出してしまった夫。3年後、暖炉の近くで妻のことを思い出していると、そこに妻がやって来る。 物語の半分以上が、夫の回想で占められている。回想は、暖炉…

 エジソン社の作品 1908年(1)

「RESCUED FROM AN EAGLE’S NEST」 鷲の巣に連れて行かれた赤ん坊を救出するために、父親が崖をロープを使って降りていく。 D・W・グリフィスの映画初出演作としても知られた作品だが、グリフィスについてはほぼロング・ショットで撮られていることもあり…

 日本 エム・パテー商会の活動(1908)

輸入映画や実写映画の上映を行っていたエム・パテー商会も映画製作を開始している。東京・大久保のテント張りの撮影所で、中村歌扇一座という少女歌舞伎の芝居を撮影された「曾我兄弟狩場の曙」(1908)がそれである。 この作品は、エム・パテーの配給館…

 日本 横田商会の活動(1908)

吉沢商店に対して、外国映画の輸入を行っていた横田商会も自社での映画製作を開始している。横田商会では、フィルムを節約するために秒速7,8コマで撮影されており、映写の際には「バッタの踊りのようだ」と笑われた。 そんな横田商会は、横田商会の映画を…

 日本 吉沢商店の映画製作

また、吉沢商店は菊地幽芳原作の「己が罪」を映画化している。この作品は原作のサワリを撮影したものだが、神奈川県の片瀬および江ノ島でロケ撮影が行われている。初のロケを行った日本映画とも言われている。カメラマンは千葉吉蔵が努めたが、演出について…

 日本 吉沢商店の目黒撮影所

吉沢商店はこの年、日本初となる撮影所を目黒に完成させている。太陽光を利用するために屋根と周囲をガラス張りにしたグラス・ステージで、四間に四間半というごく小さいものだったが、カメラの引きができるようになっていた。設計は吉沢商店の経営者である…

 中国初の常設映画館

この年上海に、中国初の常設映画館である蛇口大戯院が建設されている。スペイン商人の手によって建設されたこの映画館は、成功を収めた。

 映画製作の変化(1908)

1908年まで、生フィルムの製作はイーストマン社が独占して行っていた。だが、映画製作の面で市場を独占する勢いだったパテ社が、生フィルムの製造を始めている。 これまでパーフォレーション(フィルムを送るためにフィルムの両端に空けられた穴)の不揃…

 ヨーロッパにおける映画興行

フランスにおける映画興行の面でも、パテ社が活躍した。1908年当時、パリには50館ほどの映画館が存在していたが、そのうちの4分の1ほどをパテ社が所有し、同時に地方での興行も強化していた。しかし、フランスの映画興行の発展はゆっくりとしていた…

 イギリス、ドイツ、チェコなどの映画製作(1908)

イギリスでは、イギリスの伝統ともいえるドキュメンタリー主義的な作品が撮影されていた(1906年のウェルマン北極探検隊に同行したが、極地にたどりつけず、フィルムも未公開に終わった)。「ゴールウェイ県の牛追い」(1908)はウィリアム・ポール…

 ロシアの映画製作(1908)

劇映画を製作していたドランコフは、「ステンカ・ラージン」(1908)をこの年発表している(初の「国産」映画と言われている)。18世紀を舞台に、貴族とツァーリに対してコサックと農民の蜂起を描いたこの作品は成功を収めた。この作品は、有名な酒歌…

 イタリア映画と「ポンペイ最後の日」

イタリアでは多くの映画会社が設立され、映画製作は順調に行われていた。映画はマンネリ化によって、世界的に観客離れを起こしていたが、イタリア映画は文芸物や歴史物で人気を得ていた。 解散したカルロ・ロッシ社にいたジョヴァンニ・パストローネが設立し…

 カリフォルニアでの映画製作

シカゴの映画製作会社であるシーリグ社はこの年、映画会社の中では初めてカリフォルニアで映画製作を行ったという。製作された作品は「モンテ・クリスト伯」(1908)で、フランシス・ボッグスが監督している。シーリグ社はエジソン社を中心としたMPP…

 映画と著作権

この年、シカゴではカーレム社という会社が、1899年にブロードウェイで舞台化された小説「ベン・ハー」を映画化した。カーレム社は映画化権を取得せずに映画を製作していたが、このこと自体は当時の映画界では珍しくないことだった。しかし、カーレム社…

 D・W・グリフィスの監督デビュー(3)

グリフィスによる映画の変革はその萌芽を見せていた。テリー・ラムゼイはこの頃のグリフィスについて次のように語っている。「グリフィスはスクリーンの統辞法に磨きをかけた。1908年まで、動く映像はそのアルファベットをたどたどしく綴るだけであった…

 D・W・グリフィスの監督デビュー(2)

グリフィスは監督になってから、撮影方法に工夫を凝らし、「インディアンと子供」「黄金が好きで」(1908)といった作品では、クロース・アップに近い距離での撮影を行っている。また、「幾年月の後」(1908)では、クロース・アップに加えてテンポ…

 D・W・グリフィスの監督デビュー(1)

前年、エジソン社で俳優として映画界入りしたグリフィスは、この年バイオグラフ社にシナリオを売り込み、「質屋アイザク老人」(1908)のシナリオを採用してもらう。以後、バイオグラフ社で俳優業を行いながら、シナリオを提供していく。 さらに、「ドリ…

 ニッケルオデオンの拡大と映画製作(アメリカ)

1908年当時のアメリカでは、ニッケルオデオンの拡大(この年の末には1万館に達した)によって伸びた映画への需要に後押しされ、映画製作も順調に行われていた。しかし、エジソン社を中心としたMPPCに所属していた映画会社は作品にそれほどの工夫を…

 フィルム・ダール社と文芸作品−フランス(3)

フィルム・ダール社によって投げかけられた、文芸作品の波は他の会社へも飛び火した。「有名な俳優の出演による有名な主題」を映画化するために、パリではパテ社系列のスカグル社(文学者著作家映画協会、SCAGL)が設立された。ゴーモン社、エクレール…