続くMPPCと独立系の映画製作会社の対立(2)

 当時の状況を、ジョルジュ・サドゥールは次のように語っている。

「1910年に映画は単純な動く写真の域を脱していた。大衆はすでにお好みの主題や俳優を持っており、その製作会社のマークよりも映画の題名で上映番組を選択した。ヴァイタグラフ社を除いて、トラスト側(MPPC側)の製作会社は、彼らが作る映画の製作原価をかなり引き上げる事になる方式である文芸映画シリーズに参入するのに遅れをとった」

「ニッケルオデオンで金持ちになったかつての巡回業者師、あるいは古道具屋たちは、ジェネラル・フィルム社のシルク・ハットを被った会計係よりも大衆の好みをよく知っていた。だから、トラストの映画製作会社は、後年のビールあるいはアルコールの密造摘発官同様に、映画製作を取り締まるのに効果のない訴訟というまったくむなしい障壁の中で、束の間の独占という安堵感に浸っていたのである」


(映画本紹介)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

映画誕生前から1929年前までを12巻にわたって著述された大著。濃密さは他の追随を許さない。