続くMPPCと独立系の映画製作会社の対立(3)

 MPPC側の映画製作会社たちは、独立系の映画会社ほど質的にも量的にも大衆を満足させることができなかった。

 そんな状況に加えて、社会的な状況も独立系側に動いていた。1911年秋、配給業者だったウィリアム・フォックスはジェネラル・フィルム社との商談を破棄した。その上、フォックスはジェネラル・フィルム社とMPPCを反トラスト法違反で告発したのだった。当時の政治的状況も、反トラストの方向で動いており、フォックスに有利に働いていたのだった。

 それでも、1911年の段階では、MPPC側と独立系製作者の戦闘の帰趨はまだ決まっていなかったし、MPPC側の映画製作もがんばっていた。特にヴァイタグラフ社とバイオグラフ社の作品はアメリカ映画の演出の最先端にあったと言われている。


(映画本紹介)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

映画誕生前から1929年前までを12巻にわたって著述された大著。濃密さは他の追随を許さない。