バイオグラフ社におけるD・W・グリフィスの活躍

 グリフィスはこの年、「女の叫び」(1911)という作品を製作している。この作品では、通常のカット・バックに加え、短い意味のあるショット(機関車の煙突、汽笛、車輪など)が映し出されてエモーション(感情)を生み出しすように工夫されていた。また、同一シーン内でもカットを割るように作られ、室内シーンでは、フル・ショット、アメリカン・ショット、バスト・ショットを交互に使用した。

 また、「清き心(イノック・アーデン)」(1911)は、自身一度製作していた「イノック・アーデン」の再映画化で、グリフィスが二巻で製作した映画である。「清き心(イノック・アーデン)」は、バイオグラフ社の意向により、一部、二部に分けて興行された。1本ずつ見ても話は通じるようになっていたが、観客から2本続けてみたいという要望が多く集まり、急遽、2本分の値段で続けての上映に切り替えたという。

 このことがきっかけとなり、アメリカでも二巻ものの作品が多く作られるようになり、一巻ものと区別するために「フィーチャー(Feature)」と呼ばれるようになったという。時間的には30分弱の映画のことを指す事になる。

 しかし、二巻物の製作を望んだグリフィスに対し、バイオグラフ社の考え方は反対で、グリフィスに対しては、年に数回しか二巻物の作品の製作を認めなかった。

 それでも、グリフィスの作品はヒットし、バイオグラフ社の売上は増大した。グリフィスは信頼を得て、西部劇、南北戦争もので多くのエキストラを使用しての撮影も行った。

 また、グリフィスの弟子であるマック・セネットは喜劇の演出を買われ、この年バイオグラフ社の喜劇部門の主任監督となり、1巻物の喜劇を大量に生み出していく。


(映画本紹介)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

映画誕生前から1929年前までを12巻にわたって著述された大著。濃密さは他の追随を許さない。