トマス・H・インスの胎動

 トマス・H・インスは、ロサンゼルスでカウボーイ映画を得意とするバイソン社の経営を任され、バッファロー・ビルの伝統に従ったカウボーイ・サーカスを雇い、「バイソン101社」を設立している。1911年10月には、二巻物(30分程度)の西部劇「大平原での戦い」を製作、監督している。アメリカでは異例の長さの作品で、以後バイソン101社は二巻ものを製作していくことになる。

 インスの西部劇はプロットにこだわり、ストーリーを重視したと言われている。また、インスは監督を他の人物に任せ、自らはプロデューサーとして監修を行った。後のプロデューサー・システムを確立したと言われている。インスが育てた監督には、後に多くのハリウッド映画の監督として活躍するヘンリー・キングフランク・ボーゼージなどがいる。そんなインスは優れた作品には自分の名前を監督としてクレジットしたりもしたとも言われている。

 ちなみに、主に独立系の映画会社が映画製作を行っていたハリウッドでは、ネスター・フィルムがこの年初めて本格的な撮影所を構え、カール・レムリのユニヴァーサルもそれに続いていくことになる。


(映画本紹介)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

映画誕生前から1929年前までを12巻にわたって著述された大著。濃密さは他の追随を許さない。