フランス フィルム・ダールの破綻

 1908年に「ギーズ公の暗殺」によって、文芸映画製作ブームの口火を切ったフィルム・ダール社は、ガヴォーが経営を行っていたが、結局多額の損失を出して退陣している。フィルム・ダール社の事業はフランスの配給会社のモノフィルム社が引き継いでいる。

 当時のフランスの映画監督であるヴィクトラン・ジャッセは、フィルム・ダール社の事業の失敗を、扱われた主題は退屈で、俳優たちは映画を理解せず、軽蔑していたためとしている。

 それでも、フィルム・ダール社の作品はすべてが興行的に失敗だったわけではない。

 「マダム・サン=ジューヌ」は当時有名だった女優レジャーヌの出演し、ヒットした。サラ・ベルナールが出演した「椿姫」は、アドルフ・ズーカーが配給を担当したアメリカを始めとしてヒットした。サラ・ベルナールは、舞台のようにセリフを喋りながら演じており、大女優として名を馳せたベルナールの演技を見ることが出来るという。同じくサラ・ベルナールが主演した「エリザベス女王」は、ロンドンで撮影された作品で、上映に一時間かかった。大仕掛けな舞台装置、豪華な衣装を莫大な製作費をかけて実現し、興行的にヒットしたという。



(映画本紹介)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

映画誕生前から1929年前までを12巻にわたって著述された大著。濃密さは他の追随を許さない。