日本 福宝堂の日暮里撮影所

 1910年に発足し、映画製作も行っていた福宝堂は、日暮里の撮影所を拡張している。拡張と言っても、土間を板敷きにしたり、天幕を張ったりといったものにすぎなかった。

 この頃の映画撮影について「日本映画発達史」の中で田中純一郎は次のように厳しく語っている。

「興行マーケットが貧弱すぎたためであろうが、映画製作に投ずる資金はあまりに貧しく惨めであった。映画製作のために払われた考慮は、ただカメラとフィルムがあるだけで、他は普通の演劇の仕組となんら違うところがなかった。そのカメラとフィルムにしても、無声映画の秒速十六こまの撮影速度を、フィルム節約のため十二、三こまでやってのけるという乱暴さであった。脚本も俳優も個性を無視され、道具のように扱われた。演出監督や撮影技士は、一介の労働者に過ぎなかった。従って映画科学に対する技術的進歩的考慮はもちろん、内容の映画的構成のような新しい試みは到底持つ余裕はなく、過去の演劇の蒸し返しと、退屈な保守の連続に過ぎなかった」


(映画本紹介)

日本映画発達史 (1) 活動写真時代 (中公文庫)

日本映画発達史 (1) 活動写真時代 (中公文庫)

日本の映画の歴史を追った大著。日本映画史の一通りの流れを知るにはうってつけ。