MPPC、反トラスト法で告発される

 昨年(1911年)に、ウィリアム・フォックスはジェネラル・フィルム社とMPPCを反トラスト法違反で告発していた。この年(1912年)、フォックスの告発は受理され、MPPC側に調査が入った。

 政治的な状況も、独立系に味方していた。民主党は反トラストを政策に掲げるウッドロー・ウィルソンを大統領候補に指名した。現職の大統領を擁する共和党が、民主党に対抗するためにMPPCを狙ったとも言われている。ここで、エジソンにとって不幸だったことは、映画産業がまだ小さくて訴えやすかったという点だ。

 映画制作の面でも独立系の攻勢は止まらず、MPPC側は押されていた。

 MPPC側の映画会社では、パテ社が1912年暮にルイ・ガスニエをフランスからアメリカに派遣し、撮影所を運営させている。また、エッサネイ社は、「モンテズマの陥落」製作のためにメキシコへと撮影隊を派遣している。

 1912年当時、MPPC側で製作数でも売上高でもトップだったエジソン社は、南北戦争を題材とした映画を製作し、人気を得ている。だが、エドウィン・S・ポーターが去った後、撮影所を任されていたサール・ドーリーがエジソン社から去っていった。缶詰製造を行っているかのような単調な規則正しさで、1巻あるいは半巻で売られていた映画は飽きられてきており、決して順調ではなかった。

 MPPC側の衰退は決定的となっていった。

(この年製作された主なエジソン社の映画「THIRTY DAYS AT HARD LABOR」、「THE PASSER-BY」、「THE TOTVILLE EYE」、「THE PUBLIC AND PRIVATE CARE OF INFANTS」、「AN UNSULLIED SHIELD」、「A CHRISTMAS ACCIDENT」、「CHILDREN WHO LABOR」、「THE LAND BEYOND THE SUNSET」)


(映画本紹介)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

映画誕生前から1929年前までを12巻にわたって著述された大著。濃密さは他の追随を許さない。