トマス・H・インスの出発

 バイソン社で映画を製作していたトマス・H・インスは、ミューチュアルのグループで西部劇「カスター最後の戦い」(1912)といった映画を製作していくことになる。

 インスは、古典的な西部劇など庶民的な作品を製作し、C・ガードナー・サリヴァンが脚本を担当した(後にサリヴァンはニューヨーク映画社の脚本部長となる)。インスは自分が養成した監督たちに自分の指示に従って仕事をさせる映画製作の芸術監修者となった。その方法は、まず、サリヴァンの協力を得て、主題と役を演じる俳優を選択。次に、ショットを頭に浮かべながら、脚本(入念な撮影台本)を構成、撮影には介入せず、編集はインスが行った。当時はまだ一般的にD・W・グリフィスもルイ・フイヤードも現場で即興的に撮影しており、革新的な方法だったという。

 ちなみに、インスの元で監督を行った人物にジョン・フォードの兄フランシス・フォードがいる。フォードは1912年から14年にかけて、西部劇・南北戦争・連続活劇などを製作した。1912年に製作された「THE INVADERS」の監督も担当したといわれている。

 当時のインスの作品についてジョルジュ・サドゥールは「世界映画全史」の中で次のように書いている。

「インスの作品では、アクションがすべてであり、心理描写はあまり深く掘りさげられない。しかし、野外派の中で養成されたこの監督は、自然と風景に対する一つの感覚を持っており、それによってなんなくリリシズムを醸しだすのである。一方、特に撮影所で演出術を身につけたグリフィスは、はるかにスタイリストであった」



(映画本紹介)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

映画誕生前から1929年前までを12巻にわたって著述された大著。濃密さは他の追随を許さない。