イタリア史劇の世界的ヒット−「クォ・ヴァヂス」

 文芸映画などで順調に映画製作が行われていたイタリアでは、この年から大規模な史劇が製作されるようになり、世界的に大ヒットすることとなる。

 その筆頭とも言える作品が、「クォ・ヴァヂス」(1912)だ。チネス社が、全世界に人気があったヘンリック・シェンキヴィッチによる小説の映画化権を買い取り、映画化した。エンリコ・グァッツォーニが演出、6万リラの予算、映写時間2時間で製作された。

 「クォ・ヴァヂス」の特徴は、豪華絢爛な絵づくりや生々しいスペクタクルシーンにあったという。ローマの群衆、キリスト教徒への残忍な迫害、競技場の本物のライオンの群れ、炎上するローマ、カタコンベにおける聖ペテロの祈り、皇帝近衛兵の乱入シーンなどが挙げられる。

 チネス社は、ライオンを借りるために、曲馬団に1万リラを支払ったと言われている。ライオンのシーンは観客に熱狂をもたらした。この点について吉村信次郎は次のように指摘している。

「このようなことからプロデューサーたちはいささか荒けずりではあっても、猟奇的で刺激的な場面挿入による波及効果を理解した。と同時に巨費を投じた大作こそが自己の野心と利益追求の両方を満足させてくれるものであることを知った」(「世界の映画作家32 イギリス映画 イタリア映画」)

 「クォ・ヴァヂス」は、全世界でヒットし、利益は50万リラに上った。パリでは世界最大の映画館ゴーモン・パレスで上映された。150人のコーラスを含む伴奏音楽が、ジャン・ノーゲによって特別に作曲され演奏されたという。ロンドンでは1回に2万人が収容できるアルバート・ホールで上映され、国王ジョージ五世らにも特別試写が行われた。空前の大ヒットで、短編が多かったアメリカ映画に長篇への移行の影響を与えたと言われている。

 アンブロージオ社では「千人隊」「ローズ島の武士」「詩聖ダンテ」「魔剣」「失楽園のサタン」(1912)などの作品が製作されている。これらの作品は、「クォ・ヴァヂス」ほどの成功は収められなかった。

 「千人隊」「ローズ島の武士」は、現代劇から史劇へと戻ってきたマリオ・カゼリーニが監督した。「千人隊」は、イタリア統一に貢献したジュゼッペ・ガリバルディシチリア遠征を描いた作品。役者たちは伸び伸び動き、演出は巧緻だったと言われる。大作「ロードス島の騎士」はヒットし、以後千メートルの作品(スーパー・コロサル−超大作)路線が始まったと言われる。超大作路線に呼応するように、映画館は改築され、座席数千以上の「映画劇場」が開館し、伴奏もピアノからオーケストラに変わっていったという。

 「失楽園のサタン」(1912)は、「ポンペイ最後の日」(1908)のルイジ・マッジが製作している。三つのエピソードを含む脚本は、悪魔を聖書時代、中世、現代の挿話で描いた。現代では悪魔が鉄鋼王の姿で登場したという。各時代を別々に構成するという手法は、「イントレランス」(1916)などに受け継がれていく。

 カゼリーニとマッジは、史劇を得意とした。イタリアは歴史的名所旧跡に富むため、歴史映画はイタリア映画の専売特許として暗黙のうちに認められていた。また、19世紀のピエモンテ派の絵画の伝統が、背景作成の技術に貢献したとも言われている。スペクタクルのモブ・シーン効果もイタリア無声史劇の十八番であった。イタリア史劇の流行は第一次大戦の終わりまで続いていくことになる。

 イタラ社が製作した「親心」(1912)は、デンマーク的なメロドラマだった。火災が展開される巨大な階段に気を配り、イタリアで高く評価されたという。

 ローマでは弁護士のジョヴァッキーノ・メケリにより、チェリオ社が設立されている。ローマの侯爵から館を買ってスタジオにした。製作はチネスにいた監督のバルダッサーレ・ネグローニが担当した。ネグローニは、フランスチェスカ・ベルティーニ、アルベルト・コッロ、エミリオ・ギオーネと組んでシリーズ物を製作した。

 後にディーヴァとして活躍するベルティーニは、イタリア芸術映画社の「吟遊詩人」(1910)で本格デビューを果たしたと言われ、1912年にチェリオ社と契約をした。

 パスクァーリ・フィルムスでは、1912年から喜劇役者ポリドールが活躍した。パスクァーリ・フィルムスは、ポリドールの人気により、ローマに支店を出すほどに拡大していく。

 イタリア芸術映画社では、劇作家から製作に招かれていたウーゴ・ファレーナが、1912年から監督もするようになった。

 当時イタリアで起こっていた未来派と呼ばれる芸術運動に呼応して、アヴァンギャルド的な作品も作られている。アントン・ジュリオ・ブラガリアが製作した「未来派の写真力学」(1912)がそれである。映像を様々に重ねて、具象性から真実を解放しようとしたと言われている。

 未来派は、パリのフィガロ紙に詩人フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティが「未来主義宣言」を発表したことから起こった芸術運動であり、映画の面では純粋映画を提唱した。造形的・音楽的リズムで、超現実的・反挿話的・半文学的な現実を表現しようとし、感情よりは感動を、理論探求よりは形式探求を重く見るものだった。



(映画本紹介)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

映画誕生前から1929年前までを12巻にわたって著述された大著。濃密さは他の追随を許さない。