スウェーデン映画の勃興

 スウェーデンにおいては、発声映画の特許の1つを入手して興行的に成功させたチャールズ・マグヌッソンが、1909年にスヴェンスカ・ビオ社に入社、映画製作を開始していた。さらに、マグヌッソンは1911年に小さな撮影スタジオを建設し、映画を製作していた。また、スヴェンスカ・ビオ社は、1911年には、コペンハーゲン王立劇場の女優リリー・ベックとも契約していた。

 スウェーデンデンマークと共に、中央ヨーロッパへ映画を輸出できる数少ない国であり、経済的に繁栄した。

 スヴェンスカ・ビオ社は1912年に2人の重要な人物を俳優として契約している。ヴィクトル・シェーストレームとモーリッツ・スティルレルがその2人で、2人とも最初は俳優として契約している。が、すぐに2人とも監督へと転身している。

 モーリッツ・スティルレルは、フィンランド生まれ。軍楽士の父を持ち、自身もヴァイオリンを弾いた。16歳でヘルシンキの国民劇場に俳優として入り、1911年にスウェーデンへ移った。第二作「黒い仮面」(1912)で映画監督として名声を確立したという。

 ヴィクトール・シェーストレームは、スウェーデン生まれ。アメリカに移住後、フィンランドに移って俳優になり、スウェーデンに帰国していた。自作自演の処女作「庭師」(1912)には、リアリズムが見られるという。



(映画本紹介)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

映画誕生前から1929年前までを12巻にわたって著述された大著。濃密さは他の追随を許さない。