チェコ、ハンガリー、ルーマニア、スペイン・・・(1912年)

 チェコにおいては、1908年、最初の映画製作会社キノーファ社が設立されていたが、1912年にはアースム社が設立され、多くの映画を製作している。野外で撮影され、ロング・ショットを繋げたものだったという。

 ハンガリーにおいては、1912年に小さなスタジオがフンニア社によって設立され、本格的な映画製作が始まっている。パテ社の支社であるインペリウム社も映画を製作しており、「黄色い子馬」(1914)は、大衆的メロドラマの映画化でヒットした。

 ルーマニアにおいては、レオン・ポペスクが「独立戦争(1877−1878)」(1912)という巨大な歴史的再現映画を製作している。ルーマニア軍も協力し、王立劇場所属の役者が出演した。

 スペインでは、11月28日に検閲が導入されている。青少年保護のためというのがその理由で、すべての映画は上映前に役所に届出をすることが必要となった。

 またスペインでは、フランクトゥオッソ・ヘラベルトが記録映画「ピレネー山脈ポルト・ボウからアンドラへ」(1912)や、ヘラベルトがアルハンブラ・フィルムス社で製作した「アナ・カドーバ」(1912)などが作られている。「アナ・カドーバ」には人気俳優のホアキン・カラスが出演した。

 イギリスでは、映画興行者協会が創立されている。

 インドでは、インド初の劇映画「ハリシュチャンドラ王」(ダーダーサーヘブ・ファールケー監督)が製作されている。古典「マハーバーラタ」の第一部を題材にして、女形を使うなどして作られた娯楽大作であり、大ヒットした。また、撮影中のメイキング・フィルムも作られたという。

 そのインドではこの後、西のボンベイヒンディー語)、南のマドラスタミル語)、東のカルカッタベンガル語)が三大製作地となって映画を製作していく。インドには共通語がなく14から20もの言語が話されているため、サイレント映画の字幕ボードにはイギリス人のための英語うあ最も使われているヒンディー語など、4種類の言語が書かれたという。また、弁士が付いたり、地区ごとにボードを差し替えたりもされたと言われている。



(映画本紹介)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

映画誕生前から1929年前までを12巻にわたって著述された大著。濃密さは他の追随を許さない。