日本 輸入映画(1912年)

 当時、国内で映画を製作するより、外国映画を購入するほうが事業としての安全性が高かったため、興行映画の70パーセント以上は輸入映画だったという。

 日活や天活はロンドンにある出張所や、横浜の貿易商から買い入れて興行を行った。横浜の平尾商会が名作・大作の輸入者として知られ、平尾商会が経営する横浜オデオン座は輸入映画の試写劇場でもあったという。熱心な映画ファンは、横浜まで行き、荷物の封を切ったばかりの作品を見るのを誇りとしていた(ここから「封切り」の言葉が生まれる)。熱心な映画ファンは「活動ファン」と呼ばれ、「フィルム・レコード」などの同好誌や、プログラムを兼ねた新聞を作ったりした。

 第一次大戦前までは、フランスやドイツの文芸映画やイタリアの史劇が人気を得ており、インテリな観客は、外国映画の新しい表現に魅せられ、日本映画を見に行かなくなったという。

 この年は、「秋夕夢」「サラムボー」(イタリア)といった作品が日本で公開されている。



(映画本紹介)

日本映画発達史 (1) 活動写真時代 (中公文庫)

日本映画発達史 (1) 活動写真時代 (中公文庫)

日本の映画の歴史を追った大著。日本映画史の一通りの流れを知るにはうってつけ。