「RICHARD Ⅲ」

 ウィリアム・シェイクスピア原作の「リチャード三世」を映画化した作品。アメリカで最初期の長編フィルム(4巻、約1時間)の1本であり、またシェイクスピアの作品の初めての長編フィルムとも言われている。

 主役であるリチャード三世を演じているのは、当時舞台で有名なシェイクスピア役者だったフレデリック・ウォードである。映画の冒頭とラストでは、スーツを着たウォードが、映画館の観客に挨拶をするようにおじきをするフィルムが挿入されている。当時、アメリカ映画は長編化への移行期間だったが、まだまだ映画会社側には長編への抵抗感は大きかった(D・W・グリフィスは約30分の2巻物の製作さえ、会社側の反対でなかなか実現しなかった)。そんな中、長編映画を製作するためには理由が必要だったことだろう。この作品が長編として製作されたのは、シェイクスピアという「高尚な題材」を、フレデリック・ウォードという「正当な役者」が演じたという「芸術的理由」があったからだろうと思われる(製作会社の名前の中には、芸術的な題材を映画化することを目的としたフィルム・ダール社の名前も見える)。皮肉なことに、この後長編へと移行する映画は、「正当な役者」ではなく、映画が生み出したスターたちによって率いられていくことになる。

 作品のスタイルは、これから演じられる内容を説明した字幕が現れたあとに、固定されたカメラで撮影するという、この当時の平均的なスタイルだ。しかし、今までの作品の多くが、ワンシーン・ワンショットで撮影され、比較的ワンショットの時間が長いのに対して、この作品はワンショットが短く、またクロス・カッティングも随所で行われて、テンポよくストーリーが運ばれている印象を受けた。

 1時間を割いているために、リチャード三世の狡猾さや残忍さを表現するシーンにも力が入れられている印象を受けた。たとえば、最初にリチャードが殺人を犯すシーン。ここでリチャードは、殺人を犯した後にテラスからロンドンの人々の様子を眺め、また戻ってきておそらくすでに息絶えているであろう肉体に、何度も何度も剣を突き刺す。また、金で雇ったならず者に王妃を殺させるシーン。窓から外の様子を伺うリチャード三世は、彼に話しかけてくる人物を邪険に扱う(「今はそれどころじゃない!」)。

 1911年にイギリスで製作された同じ「リチャード三世」と、描かれているストーリー自体はほぼ同じである。しかし、2巻もの(約30分)の作品である1911年のイギリス版に対して、この作品にはリチャード三世の性格を肉付けする様々なシーンが存在する。

 ロケ撮影も行われ、衣装も凝らされた力の入った作品である。しかし、それでも舞台を撮影したかのようなスタイルは基本的にはそのままであり、映画に深みを与えるには1時間という時間でもまだ短いように感じられる。「リチャード三世」がどんな作品かはこの映画でわかるだろう。だが、この「リチャード三世」に心を動かされるのは難しいかもしれない。



(DVD紹介)

「RICHARD Ⅲ」

注意!・・・「リージョン1」のDVDです。「リージョン1」対応のプレイヤーが必要です。