ラスキー・フィーチャー・プレイの設立

 MPPCと独立系映画会社の対立は、独立系映画会社に軍配が上がりかけていた。独立系の勢いを止めることは、MPPCにはもはや出来なかった。ウィリアム・フォックスによって行われた、MPPCに対する反トラスト法違反の告発は、政府がMPPCに対して訴えるという形へと進展していた。

 1913年に設立された映画会社の中で、もっとも重要なのはラスキー・フィーチャー・プレイだろう。元々はヴォードヴィルの舞台を手がけていたジェシー・ラスキーが、妹の結婚相手だったサミュエル・ゴールドフィッシュ(後にサミュエル・ゴールドウィンに改名)らと共に設立した会社であり、ニューヨークに本社を置いた。ラスキーやゴールドウィンは映画の演出にセシル・B・デミルを雇い入れ、様々な作品を送り出していくことになる(D・W・グリフィスにも依頼したが、断られたという)。



(映画本紹介)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

映画誕生前から1929年前までを12巻にわたって著述された大著。濃密さは他の追随を許さない。