フランス 喜劇映画と「人民の映画」

 フランス喜劇を支えていたマックス・ランデーは1913年には、「マックスとピアノ」「闘牛士マックス」といった作品を製作している。だが、ランデーの仕事はやっつけ仕事となり、同じ人物を繰り返し演じていたと言われている。

 パテ社が喜劇製作のために設立したコミカ社でも、1913年から14年にかけて、ビゴルノとロメオ・ボゼッティのコンビがヒットした。アメリカのシーリグ社の猛獣映画のパロディ映画を製作したという。

 ルイ・フイヤードは、ゴーモン社で喜劇の「おかしな生活」シリーズを製作したが、大きな成功は収められなかった。

 こうした喜劇が作られる一方で、無政府主義者たちが「人民の映画」を設立している。1株25フランの株式会社で、無政府主義組合主義のビダマンが経営した。失業者や貧しい労働者のニュース映画を製作したという。



(映画本紹介)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

映画誕生前から1929年前までを12巻にわたって著述された大著。濃密さは他の追随を許さない。