D・W・グリフィスの新天地での映画製作

cinedict2007-07-07


 ジョルジュ・サドゥールが、トマス・H・インスやマック・セネットと並び、高く評価しているD・W・グリフィスは、この年からそれまでのバイオグラフ社ではなく、移籍先のミューチュアル社での映画製作を開始している。

 リリアン・ギッシュ主演の「性の戦い」(1914)が新会社での第1作であり、その他にもエドガー・アラン・ポー原作でクロース・アップを中心に撮影した「恐ろしき一夜」(1914)や「ホーム・スウィート・ホーム」「暗黒界」「埴生の宿」「THE BATTLE AT ELDERBUSH GULCH」(1914)を監督している。

 バイオグラフ社時代にグリフィスの元にいた俳優たちは、ほぼ全員がグリフィスについて移籍しており、引き続きグリフィス作品に出演した。グリフィスは自らの元にいた俳優たちを、当時他社が行っていたように宣伝として使わなかったという。当時のグリフィス映画の重要な女優の1人であるリリアン・ギッシュは次のように語っている。

「グリフィスの下にいた私たちにとってはスター・システムというものは全く存在していなかった−グリフィスが私たちの名前をプログラムに使うことを許すのは『国民の創生』以後のことだった」

 当時のグリフィスについては「リリアン・ギッシュ自伝」が参考になる。

 グリフィスは非常に身体に気を使う人物で、毎朝シャドーボクシングと冷水浴を行っており、風邪を引いている人を近づけなかったという。また、潔癖症で、清潔そうに見えない役者は雇わなかった。女優たちの評判も気にし、性生活が乱れないように注意した(この年グリフィスが監督した「暗黒界」は梅毒を題材とした映画もだった)

 身なりにも気を使ったグリフィスは自分を醜いと思っており、とがった顎や鼻と釣り合いを取るために、広い鍔の帽子を被っていたという。帽子が頭(髪)に良くないといわれると、帽子の天辺を切りとって、頭の上に太陽が当たるようにした。また、音楽や文学に詳しく、千枚以上のクラシック音楽のレコードを持っていた。

 気さくに人々に語りかけたり、気前よくプレゼントをしたりと人のために金を使った。撮影に必要な小屋を建てるといった肉体労働も一緒に行った。その一方で、打ち解けない部分もあり、ほとんどの人と、ファースト・ネームで呼び合うことはなかったという。



(映画本紹介)

リリアン・ギッシュ自伝―映画とグリフィスと私 (リュミエール叢書)

リリアン・ギッシュ自伝―映画とグリフィスと私 (リュミエール叢書)

D・W・グリフィスの主演女優としても有名なサイレント映画を代表する女優の一人であるリリアン・ギッシュの自伝。グリフィスについての記述がかなり多く、グリフィスを知る上で非常に役に立つ1冊。