マック・セネットのキーストン社

 ジョルジュ・サドゥールが高く評価している3人の映画人の残りの1人であるマック・セネットは、この年もキーストン社で喜劇を製作していた。

 これまで自身も時折出演していたが、この頃には出演するのをやめて(セネットの演技は評判が悪かった)、プロデューサーに専念するようになっていた。

 キーストン社の喜劇役者の中では、ロスコー・アーバックルが活躍を見せていた。アーバックルは、出演作の脚本・監督を担当していた。後のチャップリン映画では追っかけは付随的だったが、アーバックル映画の中心は追っかけだった。この違いから、アーバックルの映画はアメリカ的で、チャップリンはイギリス的とも言われている。この年は「LEADING LIZZIE ASTRAY」(1914)といった作品に出演している。

 セネットは他にもメイベル・ノーマンドやフォード・スターリングといった喜劇役者の映画を製作し、ヒットさせた。ちなみに、スターリングはチャップリン入社とほぼ同時期に、カール・レムリが設立したトランスアトランティック社に移籍している。チャップリンの存在がスターリングに不安を抱かせたためという話があるが、実際は偶然だったという。むしろ、セネットはスターリングの退社のために空いた穴を埋めるためにチャップリンを雇ったといわれている。そんなセネットとキーストン社の映画について次のように書いている。

「セネットに依存しているもの、あるいは、より正確には、フランスと(付随的に)イタリアの喜劇、アングロ=サクソン系ミュージック・ホールとサーカス、道化調で撮影されたヴァイタグラフ社アメリカ喜劇映画、グリフィスの技術面での教訓など、キーストン様式を形成するのに貢献したさまざまな影響は長く保たれていた」



(映画本紹介)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

映画誕生前から1929年前までを12巻にわたって著述された大著。濃密さは他の追随を許さない。