ピンク映画の誕生

 1914年、シカゴは検閲条例を修正し、21歳以上にのみ見せられる映画という分類を設けた。「ピンク許可」と呼ばれ、権限は警察に与えられた。当初の目的とは異なり、「ピンク許可」が猥褻な映画の暗号として大々的に宣伝されるようになったという。



(映画本紹介)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

映画誕生前から1929年前までを12巻にわたって著述された大著。濃密さは他の追随を許さない。