ドイツ映画(1914年)

 ドイツではこの年、パウル・ヴェゲナーにより「ゴーレム」(1914)が製作されている。「プラーグの大学生」で演出助手を努めたヘンリク・ガレーンが、パウル・ヴェゲナーに協力してシナリオを書き、演出を助けた。ユダヤの伝説に出てくる泥の人形「ゴーレム」の誕生と破滅が描かれ、「プラーグの大学生」(1913)に劣らぬ興行成績を挙げたという。

 「プラーグの大学生」「ゴーレム」はその後しばしば再映画化されている。ドイツ人は、怪奇と幻想の世界を喜ぶと言われ、ドイツのファンタジーは暗く、悲劇的で、妖怪じみているという。また、もうひとりの自分という存在の“ドッペルゲンゲルドッペルゲンガー)”に対する愛好者とも言われる。

 岡田晋は「ドイツ映画史」の中でこうしたドイツ人の特色を上げ、ドイツ精神のあらわれとしてのドイツ映画の特徴との共通点として次のように書いている。

「ドイツ人はこの分裂と矛盾に、ある種の根源的なもの−存在の本質を見るのである」
「無秩序なもの、混沌としたものを世界の本質と考える」

 他にドイツでは、「地下室(不思議の別荘)」(1914)がヨーエ・マイ監督で製作されている。イギリス風の人物スチュアート・ウェッブスが主人公の探偵ものの作品である。シリーズ化され人気を呼び、数年にわたり50本ほど製作された。このシリーズは、フランスの連続活劇に登場する名探偵ニック・カーターをモデルにしていたとも言われる。

 また、後にドイツやハリウッドで活躍する俳優エミール・ヤニングスが「塹壕にて」(1914)で映画デビューを果たしている。

 前年、「リヒャルト・ワグナー」(1913)を監督したカール・フレーリッヒは、「リヒャルト・ワグナー」を上回る規模のスペクタクル映画「武装するチロル」(1914)を監督している。ナポレオン戦争時代のアルプス山脈のチロルを舞台に、ドイツ人の勇敢な戦いを描いた作品。ロケで撮影された美しい自然を背景に、千人のエキストラを動員したという。

 1914年は第一次大戦が勃発した年だが、勃発当初のドイツ映画界は好景気を迎えたといわれる。フランス映画界が機能を停止したために他国からの映画の輸入はデンマーク映画くらいとなった。そのため、戦時下の国民は手軽な娯楽を求めたため、愛国心の昂揚からドイツ人によるドイツ映画という考え方が人びとの間に生まれたためとも言われる。また、世界的なフィルム工場アグファや、カメラ工場エルネマンも保有していたため、資材供給に問題がなかった点も挙げられる。

 ラインハルト劇団出身の映画俳優が活躍しており、人材も十分だったことも大きい。これは、マックス・ラインハルトがドイツ映画界に与えた影響力の大きさの証明でもある。ヴェルナー・クラウス、エミール・ヤニングス、コンラート・ファイトらの男優に加え、ポーランドポーラ・ネグリやドイツ演劇界のオッシ・オスワルダなどの女優人が映画界入りをして、ドイツ映画界は活況を呈していく。彼らはナチスが政権を取る30年代初頭まで幾多の秀作に主演して、スターとなっていくことになる。

 第一次大戦中に人気のあった映画としては、戦争愛国映画はもちろんのこと、ヘンニー・ポルテン映画も変わらぬ人気であり、多くの兵士が彼女のプロマイドを持っていたと言われている。上に挙げた怪奇・幻想映画や、探偵活劇映画も人気を得ていた。

 後にドイツの大プロデューサーとなるエーリッヒ・ポマーは、ウィーンにいた。フランスのエクレール社の支社を開設し、中央ヨーロッパ一帯に販路を拡大した。一方で、ウィーンにスタジオを建てて最初のオーストリア映画を製作しようとしたが、第一次大戦勃発で実現せずに召集されたという。



(映画本紹介)

「世界の映画作家34 ドイツ・北欧・ポーランド映画史」(キネマ旬報社

 ドイツ・北欧・ポーランドの草創期から1970年代までの歴史の把握には最適の1冊。
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