ユニヴァーサル・シティの誕生とハリウッド

 この年、カール・レムリ率いるユニヴァーサルは、南カリフォルニアのサン・フェルナンドバレーに撮影所などの映画関連施設を開設し、ユニヴァーサル・シティと命名した。世界で初めて映画撮影のために開発された街の誕生である。

 ハリウッドは完成されつつあった。この頃から、映画製作の中心はハリウッドという意識が人々の中にも生まれ始め、映画俳優を目指す人々(大半は女性)はハリウッドに向かった。まだ交通手段も発達していなかった時代に、東部からハリウッドを目指すのは、大きな決心をともなくことだったが、ハリウッドを目指す女性たちの中には中産階級のものもいた。脚本家・監督・秘書など他の仕事も多々あったが、ほとんどの人たちが女優を目指した。だが、デビューができたのは、コネを持った人だけだとも言われた。また、多くの女性が消息不明になったとか、売春婦や阿片中毒者になったというような伝説も生まれた。ただし、これはただの伝説とは言えず、お偉方に体を売ったり、情婦になったり、結婚したりして女優になったものもいたという。

 ロバート・スクラーは「アメリカ映画の文化史」の中で、ハリウッドに集まってくる人々を次のように語っている。

 「彼らはかつてこの世界に存在した他のどの人種よりも、自分の肉体と美貌にすべてを捧げる人びとだった」

 また、当時のハリウッドの様子については次のように書いている。

 「ハリウッドには劇場も、よい書店も、美術館も、画廊も、伝統的な文化の研究所もなかった。彼らは自分たちのカントリー・クラブでゴルフをし、個人用のコートでテニスをした。自家用プールかサンタ・モニカの専用海岸(プライベート・ビーチ)で泳いだ。彼らは食べ、飲み、ラジオに耳を傾け、踊り、恋愛遊戯にふけった。すばらしい時を過ごしたのである」

 ハリウッドは、徐々に映画製作に関係ある人々が集まる特殊な街として発展していくことになるが、当時はまだ映画の撮影所以外はほとんど何もない街だった。



(映画本紹介)

アメリカ映画の文化史―映画がつくったアメリカ〈上〉 (講談社学術文庫)

アメリカ映画の文化史―映画がつくったアメリカ〈上〉 (講談社学術文庫)

映画作品のみならず、映画とアメリカ社会全般を幅広く眺めた1冊。検閲という映画に大きく影響を与える事象についても触れられている。