「国民の創生」の製作

 1915年に公開された映画の中で、もっとも後世まで語り継がれている作品は、D・W・グリフィス監督の「国民の創生」だろう。現在比較的簡単に見られる長編の中でも最初期の作品であり、D・W・グリフィスという重要な監督の代表作の1つでもあり、映画と社会の関係を考える上でも重要な作品でもある「国民の創生」は、現在でも映画史に燦然と輝いている。

 リリアン・ギッシュによると、D・W・グリフィスは少人数の人々だけを集めて、「国民の創生」のアイデアを話したという。それは、競争相手に新作の計画を知られないためだった。

 トマス・ディクソン原作の「クランズマン」の映画化権を、収益の25%という条件で契約(後にディクソンは数百万ドルを得る)したグリフィスは、バイオグラフ社でのグリフィスの協力者であったフランク・ウッズに脚本を書かせた。内容はかなり脚色されたという。だが、ギッシュによると、撮影の現場で脚本が使われることはなかったという。また、ギッシュによると、会社側に映画化を認めさせるために、名声の定まった原作を使ったという。一方で、グリフィスは原作を元にしていることで、大衆からの批判をかわそうともしていたという。

 資金は、グリフィスが作ったエポック・プロデューシング・コーポレーションと、ミューチュアル社にいたハリー・E・エイトケン(2万5千ドル)が出資して調達した。最終的には宣伝費も合わせると11万ドルかかったと言われている。この金額は、当時としては巨額であり、それまでアメリカで製作された映画の最高額の5倍以上といわれているが、イタリア・デンマーク・イギリスではそれ以上の製作費の映画があったという。

 セットはトマス・H・インスが経営し、グリフィスが所属していたリライアンス=マジェスティック撮影所に組み立てられた。グリフィスは、細かい事実の調査を行い、多くの文献を参考にした(映画本編の字幕には、どんな本を参考にしたかも表記されている)。セットも写真集を元に実際の議場や劇場を再現したりした。

 リンカーン暗殺のシーンでは、演じられている芝居の内容も事実と同じものとし、劇のセリフの箇所と暗殺の進行を合わせたりしたという。これほど忠実な史実の再現は映画の世界では画期的だった。屋外の戦場の撮影でも、実際の戦場と似たような地形が選ばれた。また、キャメロン家の前の通りは、奥に従って徐々に小さい家や街灯を並べて、奥行きを出すなどの工夫も行われた。

 グリフィスは衣装にも凝り、衣装メーカーに頼み、軍服も当時のものを再現した。後にこの衣装メーカーは有名な「ウェスタン・コスチューム・カンパニー」となる。

 役者陣は、グリフィス組が出演した。リリアン・ギッシュが演じた役は、当初ブランチ・スウィートが演じるはずだったが、ブランチがテストでミスを重ねたため、リリアンに回ってきたという。男優たちは撮影中、助監督の役割も果たしたという。また、黒人の役は、多くが白人が顔を黒く塗って演じた。このことは、「国民の創生」の黒人差別的な面と非難されるが、当時カリフォルニアには黒人の役者が多くなかったといった事情もあったという。

 撮影は、念入りに準備して行われたが、病院で兵士がリリアンを見つめるシーンなど、即興でシーンを付け加えたりもした(このシーンは、撮影していないときのリリアン・ギッシュを、兵士役の男性がうっとりと見つめていたのをグリフィスが見ていて、急遽撮影された)。大きなかがり火を焚いて、夜間撮影も行われた(前代未聞だった)。撮影しながら音楽をかけたという話があるが、リリアン・ギッシュの経験ではなかったという。グリフィスは、喜劇のときは、楽しい気分を出すために音楽を許したが、それ以外では音楽を許さなかったという。

 壮大な戦闘シーンでは、反射鏡を合図に遠くにいるエキストラたちに連絡した。グリフィスはこれまでにも南北戦争を扱った映画を撮影しており、戦闘シーンを撮影することについては慣れていた。戦闘シーンに出演したエキストラは3〜500人だったが、もっと多くの人が出演し、多額の金がかかったように報道された。また、北軍と南軍を区別するため、南軍は左側から北軍は右側からカメラに入るといった工夫もされ、KKKが馬で駆けつけるシーンでは、道に穴をあけてカメラの真上を跳び越すという斬新なショットを撮影した。

 もともと撮り直しの少ないグリフィスだが(誇り高さからだとも言われている)、「国民の創生」での撮り直しは、メイ・マーシュが崖から飛び降りるシーンのみだった。これは、マーシュが前のシーンで腰に巻いていた南軍の軍旗を付け忘れたためだった。グリフィスは「国民の創生」の撮影の経験から、以後は撮り直しもするようになったという。

 1914年7月4日に、南北戦争の大スペクタクルシーンから開始された撮影は、脚本を修正しながら進み、9月の1週目までかかった。予定よりも製作費がかかり、スタッフやキャストの給料が遅配となったりもし、製作費のために、グリフィスは自己資金を投入し、スポンサーを自ら確保して何とか撮影終了にたどりついた。

 編集もグリフィス自身が6週間以上かけて行い、1544ショットで構成された12巻(約2時間45分の上映時間)の映画として完成させた。また、上映の際の音楽についても監修を行い、映画音楽の責任者として映画界で初めて名前をクレジットさせた。ジョージフ・カール・ブレイルに有名な曲を混ぜ合わせたメドレーを製作させ、KKKの勝利の行進には「ワルキューレの騎行」が使われたという。


國民の創生 [DVD]

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リリアン・ギッシュ自伝―映画とグリフィスと私 (リュミエール叢書)

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D・W・グリフィスの主演女優としても有名なサイレント映画を代表する女優の一人であるリリアン・ギッシュの自伝。グリフィスについての記述がかなり多く、グリフィスを知る上で非常に役に立つ1冊。