「国民の創生」と人種差別論争

 「国民の創生」はヒットするとともに、差別的であるという非難も浴びた。ヒットしたから非難され、非難されることでさらに客が入った。世論の興奮という巨大な宣伝の結果、制作費は2ヶ月で回収され、さらにアメリカ国内で1500万ドルの興収を上げることとなった。この記録は、トーキーになるまで抜かれなかった。D・W・グリフィスが作ったエポック・プロデューシング社の株主の配当は投資の20倍となり、2万5千ドルを出資したハリー・E・エイトケンは50万ドルを得た。グリフィス自身も100万ドルを得た。

 「国民の創生」は人種差別的内容から多くの非難を浴びた。各地で反対運動が起こり、ロサンゼルスでは警察の保護の下で上映が行われ、オハイオ州などのいくつかの都市で上映禁止となった。自由主義を標榜する雑誌も「国民の創生」を批判し、有色人種向上全国連合も非難のパンフレットを配布した。

 時の大統領ウッドロウ・ウィルソンは、「国民の創生」を見て、「これは歴史そのものだ」と絶賛したと言われたが、高まる非難の声に対して、大統領秘書官は否定のコメントを発表した。

 グリフィスは、映画を人種差別的ではないと弁護する一方で、弁明を原作者に委ねもした。グリフィスは、映画は原則を忠実になぞったものと主張した。脚色された映画を見たトマス・ディクソンは「原作と違う」と語ったが、非難には反論し、映画や原作の中に本質的誤りを見出したら5千ドルを与えるとまで言った。

 「国民の創生」の人種差別的な側面は、南部で育った根っからの南部人であったグリフィスにとっては真実だった。グリフィスは、「国民の創生」の黒人は、白人にそそのかされているのであり、黒人を攻撃しているわけではないと主張した。また、よい黒人も登場しているとも主張した。

 「国民の創生」への非難は、検閲を求める立法案を求める動きにまで高まった。検閲の法律にはグリフィス自身が反論に出向いた。グリフィスは表現の自由を主張し、「アメリカにおける自由言論の興亡」というパンフレットを刊行したりもした。このパンフレットについてグリフィスは、あえて著作権を申請せず、誰でも自由に再版できるようにした。また、上映禁止などを求める訴訟も12件あったが、グリフィスは合衆国憲法を盾に、個人が自分の理解するがままの南北戦争観を自由に提示する権利を主張し、そのすべてに勝訴した。

 余談になるが、「国民の創生」は1人の後に活躍する人物を成功へと導いている。その人物はルイス・B・メイヤーだ。後にMGMで豪腕を奮うことになるメイヤーは、全財産をつぎ込んでニューイングランド地方での上映権を入手した。「国民の創生」の大ヒットにより、メイヤーは大金を手にし、映画界でのし上がっていく地歩を固めたのだった。



國民の創生 [DVD]

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リリアン・ギッシュ自伝―映画とグリフィスと私 (リュミエール叢書)

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D・W・グリフィスの主演女優としても有名なサイレント映画を代表する女優の一人であるリリアン・ギッシュの自伝。グリフィスについての記述がかなり多く、グリフィスを知る上で非常に役に立つ1冊。