トライアングル社の設立

 配給会社ミューチュアル社のハリー・エイトケンは、このときミューチュアル社から追放されていたが、アメリカの映画製作の覇権を握るために、映画製作会社のトライアングル社を設立している。

 トライアングル社にはD・W・グリフィス(「国民の創生」の製作でエイトケンと協力していた)、トマス・H・インス、マック・セネットが招かれて映画を製作していった。エイトケンが大ヒットした「国民の創生」製作の主要人物と思われていたために、トライアングル社はロックフェラー財閥によって支持されていたという。また、有名な舞台俳優を雇うために株式公開(映画会社初)を行い、資金調達をしたという。さらに、アメリカでブロック・ブッキングを初め、外国にも適用したといわれている。

 トライアングル社においては、グリフィスがトライアングル=ファイン・アーツ社、インスがトライアングル=ケイ・ビー社、セネットがトライアングル=キーストン社を管理した。グリフィスは文芸映画、インスは西部劇、セネットは喜劇を担当した。

 彼らはすべてを監督したわけではなく、10人以上の若い監督たちを指揮下に監修を行い、台本に目を通し、出演者を決め、セットを選択し、編集を指示したという。



(映画本紹介)

無声映画芸術の開花―アメリカ映画の世界制覇〈1〉1914‐1920 (世界映画全史)

無声映画芸術の開花―アメリカ映画の世界制覇〈1〉1914‐1920 (世界映画全史)

映画誕生前から1929年前までを12巻にわたって著述された大著。濃密さは他の追随を許さない。