チャップリンが抜けた後のキーストン社

 チャールズ・チャップリンが去ったマック・セネットのキーストン社だったが、ロスコー・アーバックル、メイベル・ノーマンド、マリー・ドレスラーは残った。さらには、チャップリンの実兄であるシドニーチャップリンを雇い入れ、カール・レムリのトランスアトランティック社に移っていたフォード・スターリングも戻ってきたが、シドニーは頭角を現すことが出来ず、スターリングもかつての人気を得られなかった。

 この中で最も活躍をしたのは、ロスコー・アーバックルだった。小さすぎる灰色の山高帽、小さな蝶ネクタイ、ワイシャツをサスペンダーで吊るし、ズボンは寸詰まりで白靴下が見えるという格好で人気を得た。また、アーバックルは監督も務めた。

 アーバックルとノーマンドと組んだ作品も多く、この年公開された作品としては「MABEL AND FATTY'S WASH DAY」「FATTY AND MABEL'S SIMPLE LIFE」「FATTY AND MABEL AT SAN DIEGO EXPOSITION」「MABEL AND FATTY'S MARRIED LIFE」「THAT LITTLE BAND OF GOLD」がある。また、アーバックル単独としては、「FATTY'S NEW ROLE」「FATTY'S RECKLESS FLING」「FATTY'S CHANCE ACQUAINTANCE」などがある。

 さらにセネットは、1915年夏に水着美人を出演させることを思いついた。カリフォルニアのコート・ダジュールの水着コンテストに出場する女性たちを雇い、出演させた。グロリア・スワンソンも水着美人の1人で、キーストン社に1916年に入社している(だが、まもなくセシル・B・デミルによって、パラマウントに引き抜かれることになる)。



(映画本紹介)

無声映画芸術の開花―アメリカ映画の世界制覇〈1〉1914‐1920 (世界映画全史)

無声映画芸術の開花―アメリカ映画の世界制覇〈1〉1914‐1920 (世界映画全史)

映画誕生前から1929年前までを12巻にわたって著述された大著。濃密さは他の追随を許さない。