ダグラス・フェアバンクスの出発

 D・W・グリフィス、トマス・H・インス、マック・セネットが中心となって運営されたトライアングル社には、様々な役者が所属し、その中にはダグラス・フェアバンクスもいた。フェアバンクスはトライアングル=ファイン・アーツ社に入社したが、グリフィスは最初からフェアバンクスを拒んだという。フェアバンクスには独特の快活さがあり、グリフィス流の演技をすることができなかったし、グリフィスのテンポに合わせ遅くすることも出来なかった。

 そんなフェアバンクスはアニタ・ルース脚本、ジョン・エマーソン監督で風刺的な作品に出演して人気を得ていく。この年は「快男子」(1915)に主演し、予想を上回るヒットを記録している。グリフィスが脚本を担当した「快男子」は、内気な男性が婚約者を救う物語だった。以後、ほぼ1ヶ月に1本のペースでグリフィスが監修を担当したアクション・コメディに主演していくことになる。



(映画本紹介)

無声映画芸術の開花―アメリカ映画の世界制覇〈1〉1914‐1920 (世界映画全史)

無声映画芸術の開花―アメリカ映画の世界制覇〈1〉1914‐1920 (世界映画全史)

映画誕生前から1929年前までを12巻にわたって著述された大著。濃密さは他の追随を許さない。