セダ・バラの売り出し法

 「愚者ありき」の成功は、内容もあっただろうが、ウィリアム・フォックスのセダ・バラの売り出し方にも大きく依存していた。

 セダ・バラの本名は、セオドア・グッドマンといい、シンシナティの仕立て屋の娘であった。しかし、セダ・バラは、イタリアもしくはフランスの画家(将校とも)とアラビアの王女のあいだの子で、エジプトのスフィンクスの影で生まれたとフォックスは宣伝した。さらに、セダ・バラ(Theda Bara)は「death Arab」のアナグラムだという話も広めた。宣伝旅行の際には、常にアラビア風の衣装を身につけ、記者会見は香がたかれたテントの張られたスイートルームで行われ、セダ・バラは英語が話せないフリをしたという。宣伝用の写真も凝り、有名なものには男の骸骨の前にセダ・バラがうずくまっている写真がある。

 以後、映画会社は似たような誇大宣伝で人目を引く手法(ハイプ-hypeという)を駆使していくことにるが、セダ・バラの売り出しはその先駆けといえる。また、「ヴァンプ」は、「永遠の処女」とともに、ハリウッドに君臨する女優の2大タイプともなっていく。

 セダ・バラの売り出しについて見落とされがちなことだが非常に重要な点がある。それは、「愚者ありき」の宣伝旅行は映画の公開前に行われたという点だ。セダ・バラの売り出しの成功は、映画スターは映画を作らなくても作り出せるということを同時に示している。このことは、「スター」とは何かという点を考えたときに、非常に重要な参考となることだろう。



(映画本紹介)

スターダム―ハリウッド現象の光と影

スターダム―ハリウッド現象の光と影

銀幕を飾った映画女優を分析した一冊。単なる紹介ではなく、時代背景や映画の変遷と絡めて書かれた底の深さは、一読に値する。