イタリア映画 ディーヴァを中心とした映画作り

 イタリア映画が得意としたスペクタクル映画は多少作られたが、物資の不足から数が減っていき、イタリア映画はスター女優の「ディーヴァ」を中心とした<3人の登場人物>で済む映画に戻った。

 「映画スター=ディーヴァ」という用語を定着させたのは、ローマのカエザル・フィルムが、フランチェスカベルティーニを売り出したときの宣伝によってだと言われている。

 カエザル・フィルムは、弁護士ジュゼッペ・バラットロがローマに設立した会社で、当初の名前はバラットロ=ジョミニ=パネッラ株式会社だったがすぐに改称している。カエザル・フィルムには、フランチェスカベルティーニやエミリオ・ギオーネが、チェリオ・フィルムから移籍していた。

 ジュゼッペ・バラットロは、ベルティーニの周りの壁を厚くして、謎めいたムードを作り上げるという、その後もスターを生み出すときに使われるテクニックを効果的に使用したと言われている。

 エミリオ・ギオーネが監督した「売春婦ネリー」(1915)は、ベルティーニ主演作で、多くの模倣者を生んだ。
また、「売春婦ネリー」からは、ギオーネが演じたザ・ラ・モールというキャラクターが誕生している。「ザ・ラ・モール」とはやくざ者という意味で、弱きを助け強きをくじき、金を貧者にばらまくルパンとファントマをまぜたキャラクターだった。ギオーネは、ティベル社でザ・ラ・モールを演じるシリーズに出演していく。このシリーズでは、人生万歳という意味である「ザ・ラ・ヴィー」として女優カリー・サンブチーニを登場させてもいる。このシリーズを、リアリズムと結びついていると評価する意見もあるという。

 フランチェスカベルティーニは「アッスンタ・スピーナ」(1915)に出演し、スターの頂点に立ったと言われている。当時のイタリアでは、イタリア南部貧困階層を描いた「ヴェリズモ(真実主義)」の運動が文学などで起こっており、「アッスンタ・スピーナ」はヴェリズモの劇作家サルヴァトーレ・ディ・ジャコモが原作の作品で、ヴェリズモの流れの、映画における代表作とも言われている。監督は、グスターヴォ・セレナが担当している。

 ベルティーニは他にも「椿姫」(1915)などに出演している。

 「ヴェリズモ(真実主義)」の流れでは、ニーノ・マルトーリオ監督がエミール・ゾラ原作の「テレーズ・ラカン」(1915)を製作し、評価されたと言われている。他にも「アッスンタ・スピーナ」と同じ監督、原作者で「サン・フランシスコ」といった作品が作られている。

 一方で、アンドレ・デード主演の「敵機の恐怖」(1915)といった愛国映画も作られたという。「移民」(1915)は、現実主義的ではなくなったイタリア映画界における例外的な作品で、労働者や移民の苦しみが描かれたという。



(映画本紹介)

「世界の映画作家32 イタリア映画史/イギリス映画史」(キネマ旬報社

 イタリアとイギリスの草創期から1970年代までの歴史の把握には最適の1冊。
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