フランス映画界の衰退 第一次大戦の影響

 フランスはかつて映画製作の中心地であり、その中心にあったのはシャルル・パテ率いるパテ社だった。シャルル・パテは映画について次のように語っている。

「シネマトグラフは、軍需産業と並んで、唯一の世界的産業であり、その最大の国がフランスだった。戦争のための諸産業を除くと、これほど急速に発展し、従業員に十分な給料を払いながら、これほど高い配当金をもたらす産業がフランスでほかにあったとは思えない・・・・」

 そんなフランス映画は、第一次大戦の戦場となったこともあり、多大な影響を受けることになる。

 パテ社は、第一次大戦勃発による動員や不動産の徴発で混乱が起こり、採算の取れない外国の支社を閉鎖した。そんな中、シャルル・パテは、パテ社の利潤の50%をもたらしていたアメリカに向かった。当時、パテ社は、アメリカでパテ・ニューズを公開させないというMPPCの決定に反対して脱退(1913年)していた。パテ社は独立系としてアメリカ全国に配給会社を開設する必要があったのだった。パテはアメリカに20ほどの営業所を設立した。

 また、戦争のため、生フィルムを自社で製造できなくなっていた。最大の生フィルム生産会社であるイーストマンは競争相手への供給を拒否していたが、交渉の末、フィルム供給を受けられるようになった。また、ウィリアム・ランドルフ・ハーストとも協定を結び、「ポーリン」(1914)を製作。ニュース映画やドキュメンタリーも製作した。

 シャルル・パテは高い配当金を維持するため、フランス映画の再編成よりもアメリカでの金儲けを考えたのだった。



(映画本紹介)

アメリカ映画の文化史―映画がつくったアメリカ〈上〉 (講談社学術文庫)

アメリカ映画の文化史―映画がつくったアメリカ〈上〉 (講談社学術文庫)

映画作品のみならず、映画とアメリカ社会全般を幅広く眺めた1冊。検閲という映画に大きく影響を与える事象についても触れられている。