フランス アベル・ガンスの胎動

 後に監督として大活躍を見せるアベル・ガンスは、1912年に「恐怖の仮面」を少額の資本を集めて製作するが、撮影を失敗し、端役や脚本家に戻っていた。そんなアベル・ガンスは、1915年にフィルム・ダール社によって脚本家として採用されている。

 さらに、「アークル城の惨劇」(1915)をフィルム・ダール社の依頼で演出し、興行的に成功を収めている。続いて「チューブ博士の狂気」(1915)という博士が視野を乱す粉薬を発明し、舞台装置と登場人物がゆがんで見える主観映像を撮影したが、理解できなかった会社によって、公開差し止めになっている。

 一方、数少ない女性監督として以後活躍していくことになるジェルメール・デュラックはこの年、数万フランの資金でD・H社を設立し、「仲の悪い姉妹」(1916)で監督デビューを果たしている。



(映画本紹介)

無声映画芸術の開花―アメリカ映画の世界制覇〈1〉1914‐1920 (世界映画全史)

無声映画芸術の開花―アメリカ映画の世界制覇〈1〉1914‐1920 (世界映画全史)

映画誕生前から1929年前までを12巻にわたって著述された大著。濃密さは他の追随を許さない。