ロシア映画 当時活躍した監督たち

 第一次大戦開始直後には多くの愛国主義的映画、戦争映画が氾濫していたが、1915年には戦争映画は少なくなり、「ファントマ」風の探偵劇が多くなっていたという。戦争にも関わらず映画製作は繁栄し、1915年には372本、1916年には499本に達する作品が製作されているが、輸出されなかったため、無名のままだった。

 当時活躍した監督としては、次のような人物がいる。

 エフゲーニ・バウエルは、1913年に映画デビューし、5年間に100本近くの映画を製作した。喜劇、淫らな笑劇、愛国主義映画、探偵シリーズなどあらゆるジャンルを製作したといわれている。この年は、「AFTER DEATH」(1915)といった作品を監督している。

 ヤーコフ・プロタザーノフは、探偵メロドラマ、擬似愛国主義ドラマ、社交界ドラマ、ドキュメンタリーといったあらゆるジャンルを製作する一方で、国家的古典の映画化にも取り組んだ。この年は、ドストエフスキーの「悪霊」の映画化作品「ニコライ・スタヴローギン」(1915)を送り出している。

 サーカスの名手ウラジミル・ドゥーロフは、実際の犬や馬を人間代わりの主人公にして大人の恋物語を見せる「われらもまた人間のように」(1915)を製作している。ロシア・サーカスの伝統が活かされているという。

 文芸作品の映画化も盛んで、ツルゲーネフ原作の「その前夜」(1915、ニコライ・マリコフ、ウラジミル・ガルジン監督)、同じくツルゲーネフ原作「父と子」(1915、ヴィヤチェスラフ・ヴィスコウスキー監督)、ゴーゴリ原作「肖像」(1915、ヴワジスワフ・スタレーヴィチ監督)が製作されている。

 他にも、有名な歌手だったフョードル・シャリヤピンがA・イワーノフ=ガイによる「イワン雷帝」(1915)に出演し、イワン雷帝を見事に演じたという。

 また、この後俳優とて活躍を見せるイヴァン・モジューヒンは1911年にデビューしていたが、1915年から16年にかけて頭角を現してきたとい言われている。



(映画本紹介)

ロシア・ソビエトの映画史を概観するにはうってつけの1冊。