ドイツ映画、イギリス映画、スペイン映画 1915年

(ドイツ映画)

 ヨーエ・マイは、1915年において最も注目された監督である。「地雷の法則」(1915)によって「ヨーエ・デーブス」という新しい探偵を生み出しシリーズ化する一方で、「シャーロック・ホームズ」も映画化した。ちなみに、フリッツ・ラングが「ヨーエ・デーブス」シリーズで脚本家としてデビューしている(1917年頃)。

 前年デビューしたエミール・ヤニングスは、「恐怖の夜」(1915)で初めて大役を得ている。「ハリー・ヒッグズ」という探偵映画シリーズの1本だった。

 後に大プロデューサーとなるエーリッヒ・ポマーは兵役を退き、フランスの映画会社エクレール社の組織を引き継いでデクラ社(ドイツ・エクレール社)を組織。ポマーは陸軍省の写真・映画局のために宣伝ニュースや記録映画を製作したという。

 1914年まではフランス映画が上映番組の首位だった。だが、1915年にはフランス映画は少なくなり、デンマーク映画が多くなった。また、フランスではドイツ映画が厳しく禁止された。


(イギリス映画)

 第一次大戦の開戦により、イギリスの映画製作は停滞した。

 そんな中でも、ばら戦争を背景としたスペクタクルである「ジェイン・ショーア」(1915)がウィル・G・バーカーによって製作されている。また、ジョージ・ピアソンが、シェパーズ・ブッシュに撮影所を建設し、製作を再開したゴーモン=ブリティッシュの主任監督に就任している。

 興行の面では、1915年から新設された輸入税によって、入場料の値上げが不可避の状況となっていた。一方で、D・W・グリフィスによるアメリカ映画「国民の創生」(1915)が、ロンドンの超一流劇場であるスカラ・シアターで、未曾有の高額料金で公開されている。


(スペイン映画)

 スペイン映画草創期から活躍するフランクトゥオッソ・ヘラベルトは、バルシノーグラフォ社で「海の娘」「ショパンノクターン」(1915)といった作品を、セグレ・フィルムス社で「野営地のカラス」(1915)を製作している。

 また、人気スターだったホアキンカラスコは、「ジプシー娘」(1915)に出演している。



(映画本紹介)

スペイン映画史

スペイン映画史

 文字通りスペインの映画史を概観した1冊。