デンマーク映画 最後の栄光

 1914年(第一次大戦勃発前)、デンマーク映画は最盛期を迎えていた。中央ヨーロッパ、北欧諸国、アメリカに輸出され、アメリカはスター俳優を奪い、主題を模倣した。1915年はデンマーク映画の最後の栄光といえる年だった。製作本数はノルディスク社だけで143本を数え、平均上映時間は50分だったという。

 第一次大戦の勃発により、ロシア、アメリカ、フランスといった国が顧客ではなくなった。理由は、デンマークの映画会社には、ロシア、アメリカ、フランスにとっての敵国であるドイツ資本が入っていたからである。自然とデンマーク映画は、ドイツを市場としていくようになり、ドイツに肩入れした戦争映画へと向かっていく。

 この年製作された作品としては、第一次大戦期の重要な演出家で、洗練された照明や大胆な技法を用いたというホルガー=マッセンが監督した平和主義的な映画である「武器を捨てよ」(1915)がある。この作品は、後に映画監督として活躍するカール・T・ドライヤーが脚本を担当している。

 他にも、ゲオ・スネーヴォイクトという人物が第一次大戦が始まった頃に活躍した。彼は、1914年から16年にかけて探偵映画で演出を行ったと言われている。また、マーチウス・ニールセンは、第一次大戦が始まった頃に活躍した俳優、演出家であり、当時50歳を超えていた。デンマーク流の社交界ドラマや探偵物、軍事劇を専門としたが、1917年まででキャリアは終わったと言われている。



(映画本紹介)

「世界の映画作家34 ドイツ・北欧・ポーランド映画史」(キネマ旬報社

 ドイツ・北欧・ポーランドの草創期から1970年代までの歴史の把握には最適の1冊。
 古本屋などで探してみて下さい。