オーストラリア映画、その他 1915年

オーストラリア映画

 第一次大戦の勃発によって、太平洋のドイツ植民地でも戦闘が起こり、オーストラリアも参戦していた。

 その影響で、オーストラリア最大の映画会社だったオーストラレイジアン社は、防衛省のバックアップで戦意高揚映画を製作した。新兵募集映画「彼らは来ないのか?」(1915)や、オーストラリア軍が活躍したガリポリ作戦を舞台にした「ダーダネルズ海峡の英雄」(1915)などが作られた。


(その他の状況)
 1915年には、アメリカのハーバート・T・カルマスとドナルド・F・コムストックが色彩映画のシステムを開発している。実用化はされなかったが、彼らのシステムを淵源として1932年にテクニカラーとして実用化されることになる。



(映画本紹介)

無声映画芸術の開花―アメリカ映画の世界制覇〈1〉1914‐1920 (世界映画全史)

無声映画芸術の開花―アメリカ映画の世界制覇〈1〉1914‐1920 (世界映画全史)

映画誕生前から1929年前までを12巻にわたって著述された大著。濃密さは他の追随を許さない。