日本 天活の活動と連鎖劇

 この年天然色活動写真株式会社(天活)は、小林喜三郎と山川吉太郎が重役を辞職し、東西の経営を代行する形を取るようになる。天活で製作した映画を小林と山川の2人が営業するという形になった。

 天活は毎月6本の作品を作るという契約を小林と山川と結んでいた。能率を上げるため、専属俳優を雇った(帝国劇場の沢村四郎五郎ら)。天活も日活と同じように、声色科白入りで、質より量を重要視した映画製作を行った。日暮里撮影所では尾上松之助流の忍術映画を量産した。天活の松之助流の忍術映画は、松之助映画ほどの回転節約はなく、トリック映画の仕上げは美しかったと言われている。また、「西遊記」のような連続映画も製作された。

 一方、大阪の鶴橋撮影所では、現代劇(新派劇)が製作された。また、山川吉太郎が製作責任者となって、連鎖劇も盛んに製作した。連鎖用活動写真の他に、舞台上の場面を別で撮影して普通の映画興行に使用したりもした(丸物といった)。丸物は舞台そのままの演出でスピードが遅かった。

 連鎖劇は人気を呼び、東京でも連鎖劇が作られるようになる。連鎖劇の功績としては女優が活躍したことが挙げられるという。

 加藤幹郎は「映画館と観客の文化史」の中で、連鎖劇を日本独自の興行形態として、次のように評価している。

「連鎖劇はサイレント映画が定義上欠落させていた身体性(生身の声)を弁士の存在以上に具現化させようとする究極の試みとして、むしろ積極的に日本的な興行形態(舞台のライヴ・パフォーマンス性を重視する身体表象芸能)として評価すべきではないだろうか」



(映画本紹介)

映画館と観客の文化史 (中公新書)

映画館と観客の文化史 (中公新書)

 映画がどのようにして観客に受容されてきたかについて書かれた数少ない本。映画は常に映画を見る環境と共に成立し、変化してきたことを教えてくれる。