日本 アメリカ映画の台頭

 この頃から、アメリカ映画が台頭してくるようになり、チャールズ・チャップリンの喜劇やユニヴァーサル社の連続活劇は特に人気を呼んだという。

 チャップリン作品は前年から公開されていたが、1915年に「メーベルの困難」が公開されて、日本の観客に強い印象を与えたという。日本では、「茶風鈴先生」「アルコール先生」といったあだ名で呼ばれたという。

 それまでもアンドレ・デードの「新馬鹿大将」ものやマックス・ランデー(フランス)、ダムの「薄馬鹿大将」ものやモラノ婦人の「ハネ子」もの(イタリア)などがあったが、マック・セネットのキーストン喜劇が輸入されるようになると、屋外での理屈なしのドタバタ喜劇が人気を呼んだ。ヘソ子といわれたメーベル・ノーマンド、デブといわれたロスコー・アーバックル、ハム、チビのコンビといわれたロイド・ハミルトンとバット・ダウンカンなどが人気を集めたという。

 ユニヴァーサルの連続活劇では、「マスター・キー」「名金」(1915)が大ヒットした。特に「名金」は、1911年の「ジゴマ」以来の反響を呼んだという。

 そのほかにも、次のような作品が公開されている。

 「ジャンダーク」「サラムボー」(イタリア)、「呪の鬼」(ロシア)、「ファントマ」「紅家の騎士」(フランス)

 連続活劇が人気を得ており、3ヶ月から6ヶ月くらいかけて上映された。連続活劇は、1918年(大正7年)頃まで流行した。また、この頃になると、観客は俳優と顔なじみとなり、俳優の人気が高まった。



(映画本紹介)
日本映画の誕生 〜講座日本映画 (1)

 日本映画についての歴史や論評をまとめた「講座 日本映画」シリーズの第一巻。成り立ちから、「新派」「旧劇」といった重要用語の詳しい解説、弁士についてなど、日本映画初期を概観するには最適の1冊。